悔しくて嫉妬するほど褒めちぎる

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あるnoteのマガジンを購入した。

ほぼゼロ推移くらい滅多としてネット上で「課金類」なぞ、まずしない私が。
本を買うにも、とりあえず図書館で当たって試し読みをしてから買うか買わないかを最終決定をするような私が。
各スーパーの定番価格を網羅し、店舗ごとで買い分けすることを惜しまない私が。
その上で、イオンのお客様感謝デーの5%引をここぞとばかりに活用する私が。


そんな私が購入したのは、岸田奈美氏のnote「キナリ★マガジン」である。

ネットの海をそれなりに徘徊して眺めている中で、とりわけ目を引き読ませる力が抜きん出ている彼女が放つ文章はとにかく人の心を引きこんで離さないのだ。
普段はマガジン購入勢ではないので、はてなブックマークのトレンドに上がっては覗きに行くという、私はその程度の読者だ。

 

これから絶対面白くなるという所で有料ゾーンになる。
そりゃあそうである。彼女はそれを生業としているのだから。
期間限定で有料ゾーンを解放して下さることもあり、タイミングがあれば拝読をするという極めていい加減な読者がこの私だ。

 

ただ今回は違う。1度での課金でもこの度完結した「姉のはなむけ日記」の同人誌が届くのだという。
私はまんまと乗っかる形で、この度、満を持して購入したのである。

 

今まで口惜しい思いをしながら締めていた有料ゾーンが(過去のものも)全て拝読できるのだ。
太っ腹にも程がある。

そういうわけで、他の既存記事を横目に「姉のはなむけ日記」だけをとりあえず読んだ。全て。トータル4〜5時間程度かかった。


月並みな表現で安直が過ぎるのだが、やっぱり彼女はすごい。
これだけの膨大な文字数を時間を惜しまず(寝るのを惜しむ程)、読み進めようとする文章が発する力量がハンパないのだ。

 

読み終えた後の爽快感は筆舌に尽くし難い。
考えさせ、笑わせ、ほろっとさせる。正に人情喜劇さながら。
色々な人を巻き込みながら大団円に収まっていく様は、テレビドラマ「王様のレストラン」を想起させる程だ。

無料公開されているダイジェスト版もよいが、だまされたと思ってマガジン購読してみてほしい。*1
作者本人から何か頼まれたわけでも何でもない。本当に良いと思うので、全力でお勧めする。

 

 


ただ。
読めば読む程悔やしさが滲む。
それは彼女に対してでは勿論なく、自分自身に対してである。

 

自分の家のことをあけすけに語れることも。
人の心をつかんでいることも。
文章で生計を立てていることも。

彼女は私が20代にやりたいと思ったことを全てやっている。

 

これまで様々なネット上の炎上劇を見すぎてしまったことが一番の理由として挙げることもできる。しかし、それ以上にアラサーからつい数年前までは「現実」を乗りこなすことで精一杯であった。
同人活動と古の「エキサイト携帯ホームページ」で「人生はネタだ」的感覚で自分のことをあんなにあけすけに書いていた20代の私は、アラサーになるとすっかり書けなくなってしまったのである。
そうしてアラフィフに片足を突っ込んで、ようやく改めて自分のことを語ろうと思えるようになったのだ。

それなのに一回り以上も違う、彼女がそれをやってのけている。

 

ありとあらゆるこ辛く悲しく苦しい出来事を、まごうことなく喜劇化してしまう。
己が流した血と汗と涙を、己の手によって新たにグレードアップした血肉へと変えてしまうのだ。
中々出来ることではない。
だからこそ彼女の紡ぐ言葉に魅了されてしまうのだろう。

 

私もその昔から自分の経験を血肉に変えようとしてきたが、上手くいくことはなかった。仮に上手くいったとしても、せいぜい食する人を選びまくる「癖強めのレバニラ炒め」程度でしかなかった。
そういう例えでいうならば、彼女は自分の経験を「A5ランクの神戸牛ステーキ」に変換することができるのである。

それが彼女の持つ力量なのだ。

 

悔しすぎて手放しで褒めちぎりたくはないが、もう褒めちぎるしかない。

それが彼女だから。

それが才能だから。

 

只々、「お見事!」なのだ。

 

 

 

でも、やっぱり悔しいから、足元に及ぼすとも、私はここでしばらく書き続けようと思う。

「悔しいマン」で「何者にもなれなかった」私の最後の悪あがきだ。

 

 

note.kishidanami.com

 

*1:尚、9月15日までにnote内「キナリ★マガジンを購入いただくと、私を魅了した「姉のはなむけ日記」同人誌が届くそう。以前より6日程延長されてますので、興味を持たれた方は是非ご購入下さい!

点数のつけられない日々〜うっかり

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うれしい5%OFF、お客様感謝デー。
値上げの嵐のこの昨今、大変ありがたい。
意気揚々、買い出しに出た私が直近のお客様感謝デーでのことである。

 

8/30。車で10分程度で行ける近所のイオンに買い出しに行った。
今回のお客様感謝デーは火曜市と重なることもあり、9:30位だったにもかかわらず、平場の駐車場はほぼ満車という状態。みんな考えることは一緒だ。そして、この感謝デーがどれほど支持されているかがよくわかる。

 

あらかじめ書いておいた買いものメモを手に、売場を回り、かごに入れてゆく。
今回のお客様感謝デーでの買いだしメインはトイレットペーパー。
個人的にイオンの「芯なしトイレットペーパー」がコスパ最強と思っているので、食料品をかごに集めた後、最後にペーパー売り場に立ち寄り、手に取ってレジに並ぶ。

10:00前なのに、どのレジも大行列。
このイオンは何故か全て有人レジなので、早いとこセミセルフ化してほしいところ。
とはいえ、言う程待つことなく精算を済ますことができたので、サッカー台へ向かう。
あの行列の後なので、サッカー台も大混雑。どこで買い物を詰めるか迷うほど。

 

タイミングよく空いたサッカー台の上には、さっきまで袋詰めしていた年配さんのかごが放置されたままだった。
「後で自分の人と一緒に片付けてしまおう」そう思いつつ、自分の買い物をマイバックへ詰めていく。
野菜やきのこを買い込んだので少し詰めるのに苦戦。尚もサッカー台の隅で放置されたままのかごが気になる。
「後の人のためにも片づけなければならない」そう思いながら袋詰めする。

そして袋詰めを済ませた私は、素早くスマートに、且つ素知らぬ顔して、放置されていたかごを自分のかごと一緒に定位置に置く。気分がよい。意気揚々と停めた車に戻る。

 

火曜は他のスーパーも特売が掛かるので、そそくさとイオンを後にし、次の特売先へと車を走らせる。
少し遠く、20分程度掛かる。いつも渋滞しがちな道なのにすんなり抜けることができた。ラッキーだ。ちゃっちゃと買い出しすませて帰ろう。そう考えながら、特売先の駐車場に車を停めた時にハタと気がついた。

「私、トイレットペーパー持って、積んだっけ……?」

 

買い出しの荷物は、いつも後部座席に乗せる。ふり返ってみると……ない。
私のトイレットペーパーがない。
あの!あのサッカー台の端に置き忘れた!
完全に年配さんが置いていった放置かごに気を取られてしまったのである。

ただ、まだ忘れて1時間も経っていない。気が付くのが早かったから、多分サービスカウンターを尋ねれば確実に自分の手に取り戻すことができる。心無いお客さんが持ち出してさえいなければ……。
とりあえず、この特売先で買い物は済ませないといけない。
イオンで出てなかった特売の野菜をササッと買って、再びイオンへと車を走らせた。

 

再び20分程度車を走らせる。
11:00過ぎ。火曜市の人出はピークに達しており、平場の駐車場はパンパン。いつもならガラ空きの屋上駐車場も停車枠残りわずかという感じだった。車を停めるのにも一苦労。
行って戻って1時間弱。無事預けられているだろうか。

とりあえず1階へ下りる。
私が1時間前に使ったサッカー台を確認するも、なかった。まあここはないだろうとは思っていた。満を持してサービスカウンターを尋ねる。

「あの、忘れ物でトイレットペーパーって届いてないですか?」
「お電話なさいましたか?いつの忘れ物ですかね?」
「いや、今朝、1時間前に来て買ったので、来れば分かるかと思って…。」と購入時のレシートを見せる。

「ええー!今日ですか?レジの方見られました?」
サッカー台見たんですが、なかったもんですから。」
「そうですか。確認しますので少々お待ちください。」
……    
「あー、やっぱり届いでないですねえ。」
「そ、そうですかあ……。」

 

はあ……。あってほしくないことが起きてしまった。
まあ、私がやらかしたことなので仕方ない。450円強…。値上げの嵐真っ只中でこの金額は地味に痛いが、こればかりは諦めるしかない。

 

サービスカウンターを立ち去ろうとしたその時。神は私を見放さなかった。


「ちょっと前に忘れもの~。」
レジ担当の方がまさにその時、トイレットペーパーをカウンターに届けに来てくれたのである。
「ああっ!!お客様、これですかっ⁉」
「そ、そうですうー。芯なしのこれですう!」

レジ担当の人が持っていたのは、まぎれもなく私が購入した芯なくのトイレットペーパーだった。購入済テープもしっかり貼られている。

「30分前に届けてくれたお客さんがいたんですよー。よかったわあ。」
「諦めかけてました。本当にありがとうございます!助かりました!」

自分が助かっただけなのに、何を口走っているのやら。サービスカウンターの方とレジ担当の方にこれでもかというほど頭を下げながら、私はトイレットペーパーをしっかり抱え、屋上駐車場に戻った。

 

正直、サービスカウンターにお世話になるような忘れ物はこれまでしたことはなかった。持ち出し忘れそうになっても、すぐに気が付いて取りに戻ることが出来ていたのだ。
これも年齢を重ねる事の弊害なのだろうか。

……ということが頭をよぎったが、とりあえず、一番メインである買ったものが自分の手の中に戻ってきたことにホッとした。
そして心あるお客さんとイオンの方々に感謝する気持ちで一杯になった。


そして、再び1階の売り場へ降りた。
いつもなら諦めてしまうちょっとお高めのサーモンブロックを手に取り、レジに並んだ。

特売価格からさらに、ちゃっかり「5%OFF」である。

 

 

何はともあれ。

これに懲りることなく、ちゃっかり今月もお客様感謝デーにあやかる予定だ。

「夢」の最短 ~「夢の引き際」を考える・追記

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はてなブックマークで話題になっている記事がある。

yashio.hatenablog.com

前記事の映画感想に対になる部分もありながら、リンクする部分があるように感じたので、少し触れてみたい。
(※本来は映画感想の記事に追記という形での掲載するつもりだったが、そこそこのボリュームになったので、別記事化にした。)

 

 

2022年8月16日放送のマツコの知らない世界で富士山の写真を撮り続ける高校生の進路の悩みに、言葉を選びつつマツコ氏が言及するという内容だったようだ。

生憎見逃してしまっているが、この記事を見る限り、マツコ氏はこの高校生の夢を潰すことなく、絶妙な着地点の一つを提示していたのだという。

「地元で公務員になり、写真を続ける」

これである。*1

 

 

「どのような形で自分の夢や希望を追うのか」という点は、誰しもが迷いもがくものだ。

80年代~90年代であれば、アルバイトしながらでも夢を追うことができたであろう。
しかし、今は時代が違いすぎる。

 

イマイチ豊かさを享受しにくい世の中になってしまったことで、選択肢が広がったようなそうでないような、また選択肢がありそうでないような。私には今の状況がそんな風に見える。

そういう状況の世の中で夢を追うには、生活の安定が不可欠で、その恩恵を受けつつ「趣味」として続ける事しかないのかもしれない。

 

 

「夢」を叶える最短コースは「継続」しかない。
このことは多くの人が語り、実際私自身が見てきた「夢を叶えることのできた人」というのは、趣味程度でもずっと続け、確実にチャンスを見逃さない人だった。*2
最短コースである「継続」こそ、細く長く積み上げるしかない。一朝一夕でどうにかなる問題でもなく、「継続」するからこそチャンスが舞い込むものである。

 

マツコ氏はそれを理解した上で高校生に進言したのだ。
唐突に聞かれても、安易に励ますか、諦めさせるようにしがちな所をポイントを整理し、落とし込んだ上で説明している。

 

先日見た映画は「引き際を模索し諦める」話だった。
そんな映画を見て間もない今、この記事を読み、諦めるだけが全てではないということを思い起こさせられた。

 


完全に余談だが「サーバント×サービス」という、アニメ化もされた4コマコメディー漫画をご存じだろうか。その漫画に「市役所非常勤勤務をしながら趣味のコスプレに邁進する」という人物が登場する。

この記事を読んで、マツコ氏の進言をそのまま成したようなキャラがいたことを思い出したのだ。

漫画はフィクションであるものの、作者が市役所臨時職員(仮)としての経験を作風に生かしているということを言及している*3*4ので、マツコ氏のアドバイスはあながち間違いではないことが分かる。

 


引き際を考えることも必要な時期というのは、どこかでやってくるものではある。
しかし、夢に頑張ろう、頑張りたいと考えている人には、マツコ氏が進言したような、そういう方法もあることを知っておいて欲しいと勝手ながら思ってしまうのである。

*1:公務員も配属先によりけりな上、人員削減がなされている中でそんなに楽ではないということは頭の中に置いておかなくてはならないが、「生活保障」という点では優っていると思う。

*2:参照記事

点数のつけられない日々~たりないかくご - はぱささ ~今、ここ~

*3:

サーバント×サービス - Wikipedia「作風」部参照。

*4:該当ページの魚拓ページも存在する。実際(厳密には)臨時職員とも違うとも。

マンガ質問状:「サーバント×サービス」 “WORKING!!”作者が描くお役所4コマ - MANTANWEB(まんたんウェブ)

【若干ネタバレ】「夢の引き際」を考える~映画「辻占恋慕」鑑賞所感~

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この映画のコピーに「激苦青春ラプソディ」とある。全くもってその通りだった。

 

音楽を目指す人はおろか、あらゆるクリエイターを目指す人、何らかの夢を持って頑張っている人、そうした経験のある人には、ぐいぐい刺さっていくと思う。
私も類に漏れず、かつて自分の夢を高らかに掲げ邁進していた人間なので、映画内に出てくるエピソードが痛いほどわかる。わかりすぎて泣けてくるレベルである。

 

以下、あらすじ起こしによる若干のネタバレあり。

続く感想も若干のネタバレを含みます。ご注意下さい。

↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓

 

 

 

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ライブハウスの対バンライブで知り合った主人公の信太とゆべしはその日のうちに意気投合し、親しくなってゆく。
アラサーの2人、特にゆべしは「引き際」について考えてはいるものの、迷い、もがき、信太にほだされるまま、売れないシンガーソングライターを続け、信太はゆべしのマネージャーになる。

ゆべしの才能を信じて疑わない信太は、「ゆべしのメジャーデビュー」を目指すも、当のゆべしはイマイチ乗り気になれないでいる。しかも信太の空回りによる売り込みばかりで、2人は衝突を繰り返す。お互いに想い合っているのにも拘らず……。見ていて痛々しい程だ。

短編映画に楽曲と共に出して貰う交渉し了解を得たはずなのに、全く想定外の出され方をされてしまう。

かたや、有名プロデューサーの下でアルバム制作を始め、納得いくモノができる……かと思いきや、そのプロデューサーが少し狂った側面を出し始め、ゆべしは困惑。

結局落ちついて楽曲制作ができず、ゆべしは本格的に煮詰まってしまう。

信太はそのことに気が付けないまま、かつての仲間を巻き込みつつ、更にもがき続けるのである。

 

物語の最後は、空回りばかりしていた信太が全てをひっくり返してしまうのだが、これも苦くてザラつくような「現実」を嫌というほど見せつけてくるのである。

 

::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

 

 

 

スカッとする爽やかさもなければ、明確なハッピーエンドはない。
ただ、苦しく辛い。
それでも、こうして感想を書かずにいられないのは、そこはかとなく思い起こされる自分の過去の経験に響くものがあるからだ。

 

山口百恵のような「美しい理想の幕引き」はそう簡単にできるものではない。
実際の「引き際」なんて、この主人公たちのようにしかならないし、そういう風にしかできない人の方が圧倒的に多いと思う。

私自身の「夢」の幕引きも決してよいものではなかったので、共感しかないのだ。
考えてみれば、私の「引き際」もアラサーだった。アラサーはそうした鬼門なのかもしれない。

 

「アラサー」は、20代前半ほどガツガツできるわけでもないし、世の中に「それなり」を求められる年齢の頃でもある。
「夢」と「現実」に一番向き合うのが「アラサー」という世代なのかもしれない。

(これはその時代を経てきた人間としての実感。私と狭いその周辺を見てきた実感でしかないが。)

 

無闇に「頑張れ」なんて励ますのも難しい。「じゃあ、やめちゃえば」なんて安易なことも言えないし、できない。
そんなことを考え、ぐるぐる自分の中を回りながら、「そうするしかなかった」という境地にたどりつくものなのではないだろうか。

まるでカエデの種が回りながら、風に吹かれ落ちていくかのように。

 


大いなる夢を持つ人々には、辛いだけの映画だろう。
しかし、この年齢になるとそういう現実を生きる人々のストーリーはものすごく安心する。「自分だけではなかった」ということからなのか……。

 

「酔っている」と言われてしまえば、否定はできない。

しかし、夢に向かって努力したことはうそではないし、その努力や現実が今をつないでいると考えれば、「それでいい」と思えるものだ。
だから彼らも「それでいい」し、私たちも「それでいい」のだと思う。

「だからだめなんじゃん」なんて、吐き捨てることもできるが、それじゃあ自分自身が悲しすぎやしないか。
自分のことは自分がよくわかっているはずだから。

 


何度も書いて恐縮だが、この映画は決して分かりやすいハッピーエンドではない。
見せつけらた現実は何もなかったように過ぎていくが、その現実は何もなかったわけではないことを教えてくれる。

 

「めちゃくちゃに苦く」「ティースプーン一杯あるかないかの優しさ」がある、そんな映画ではないだろうか。

家を出るため、大学に「行きたかった。」

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この漫画にすっかり感化されてしまったので、私も書いてみようと思う。

 

 

大学に行こうと心に決めたのは小学生時代。

「それいけ●コロジー」というTV番組の美輪御大の雰囲気に圧倒され、「心理学」というものに興味を持った。
程なくして、友人がハマっていた「ぼくの●球を守って」を借りて読んでから、「心理学」を学ぶことに当時の私の中で妙な確信を得た。

第2のヒロイン「モク=レーン」が大学で学んでいたから。モク=レーンと同じく、「人の心とは何なのか」ということを知りたくて仕方なくなった。

何より心理学を学べば、私は悩みから解放され、救われる。そして、あわよくば実家家族への変化を促すことができるのではと当時の私は本気で思っていた。

そして「私のような思いをする子供を増やしたくない」という思いで将来の夢を「スクールカウンセラー」と定めた。

 

一筋の希望を抱きながら、中学生になり「高校には行かず飛び級で大学に行けないものか」と中学生ならではの思考で悶々としながら、中学校図書室にある古い心理学の本を貪り読んでいた。
勉強自体は平均~ちょい下をうろうろするような感じで大したことはなく、志望していた進学校を諦め、ランクを落した実業系高校の普通科に通うことになった。

 

中学3年当時、無理をわかっていても地元の進学校に行くつもりで、旧日本育英会奨学金の審査も通過し、勉強をしていたが、成績は伸び悩んでいた。進学校に行けるかいけないかぎりぎりのライン。
それを見かねた当時の担任が「ランクを落とした実業系の普通科の方が、○○(私の本名)自体が実際勉強で苦労せずに済む。それにそこの普通科は推薦での進学率が高いから、うまいこと内申点取って、それで大学進学した方がよいのでは?」と進路面談の時に教えてくれたのである。

都市圏からその年に赴任してきたばかりの担任は、一線を画していた。郡部ばかりで転勤を繰り返す先生方にはそんな発想は出てこないだろう。明らかに雲泥だった。

 

そういうことを考えたことのなかった私は、その先生の提案に乗る形で、無事「実業系高校普通科」に転がり込むことができた。
正直、元々の志望校ではなかった為、合格した高校に通うのは乗り気ではなかった。
とりあえず、「貧乏でも親に頼らず進学できる方法」と「心理学を学べる大学を洗い出すこと」に専念していた。

教室に置いてあったリクルートブックをクラスの誰よりも読み込み、警備員さんが学校自体を締め出すギリギリまで教室に居残って自習をしていた。


が、実際時間が経つと、当時所属していた「校内で唯一絵の描ける部活」経由で生徒会入り。そこで生徒会活動に夢中になり、何げに高校生活を謳歌することになっていた。

 

恐らく、小中学校が同じであった弟の目が届かなくなったというのもあるだろう。
しかし、何より「学校に集う人達が怖面白かった」というのがある。
かつては地域ダントツのヤンキー校とも評されていたこともあり、(大人しいながら)ヤンキーかぶれみたいな人もいたし、そういう生徒を相手にする先生達もユニークな人が多かったように思う。生徒会で先生達と絡む機会が多かったから尚更かもしれない。

 

学校生活を満喫する分、成積は伸び悩み、志望校推薦もギリギリライン。
志望校のランクを下げることも勧められる程になってしまった。
ただ、絶対的に新聞奨学生でないと進学は不可能。新聞奨学会が承認している大学から志望校を選ばざるを得なかったので、自分の実力より格上のところを志望するしかなかった。

 

お世話になる新聞奨学会は学校にいち早く営業をかけに来た大手新聞社のところに決めた。(そのおかげでトンデモな販売所に入れられることになるのだが。) 
営業に来た奨学会以外にも3.4社程資料請求をしていたことで、後に営業をかけに来る奨学会の人もいて、困惑したこともあった。
最初に営業に来た奨学会の方に「承認される大学が増えることはあるのか」と尋ねてみたたものの「難しいですね」とやんわり否定されてしまった。
そんな理由もあり、ランク上の大学推薦を目指すしかなくなっていた。

 

中学同様、数学・英語が伸び悩みながら、一般入試向の対策はしつつも、とにかく推薦で受かるつもりでいたので、課外授業は中々身に入らなかった。

推薦入試の選抜科目は小論文・面接だったため、生徒会で培ったツテを駆使して、普通科目以外の実業系科目の先生にも面接練習をお願いするようになっていた。
何の気なしにいつものノリでお願いした養護教諭に、「受験面接対策」とは名ばかりの心理カウンセリングを受けることになる。

そこでその後の指針となるような「気づき」と現役の臨床心理士の方を紹介して貰い、実際アポを取り、仕事の話を聞きに行った。(そこで初めて私自身がアダルトチルドレンであることを知る)
その事実に動揺しつつも、推薦入試対策を重ね、できる限りの努力はした。

 

志望大学は関西圏にある。
推薦入試は1人で行った。
旅行代理店でホテルと飛行機のチケットの手配し、前日に関西入り。
会場周辺の見学もし、万端で試験日を迎えた。はずだった。

 

面接試験当日。
小論文は何なくクリア。自分なりに手ごたえを感じる位だった。
そしていざ面接となった時、あれだけ練習を重ねたにも拘わらず、私は学部長が放つ何とも言えない威圧的な雰囲気に飲まれてしまった。
両脇の教授陣はそうでもなかったのだが、とにかく学部長の圧は別格。
それでも淡々としっかり返答していたのだが、「志望動機」を尋ねられた時に、何故か感極まってしまったのだ。
スクールカウンセラーになり、生徒に寄り添い助けになりたい」それを伝えればいいはずなのに、「自分が救われたい」という気持ちと、辛かったこれまでの実家の色々がバアっと頭を掠めてしまい、涙がこぼれ落ちる寸前だった。
脇の教授の1人が、私に答えやすいように助け船を出してくれて事なきを得たが、面接終わった時点で「なぜあんな事になってしまったのか」と自分自身に打ちのめされ、関西を後にした。

1週間後、「打ちのめされた感じのまま」の通知が届いた。
面接練習でお世話になった先生方に対して申し訳ない気持ちになった。
アテにしていた推薦で大学合格を取りこぼした。
センター試験の準備はしていないので、生ぬるくしかやれていなかった一般入試対策を慌てて追い込む。
追い込んだところで知れたもので、試験会場になる大都会で1週間ホテルに泊まりこみ、かなり入試受けてはみたが、案の定全滅だった。大学入試をナメ切った結果だ。(因みに大学受験の受験料と旅費は高校授業料減免による奨学金のプール分で賄った。)

 

現役での大学合格の夢は完全に絶たれた。決まっているのは新聞奨学生の枠だけだ。

とにかく実家から出なければ「私自身」が殺される。
その一心で、とにかく進路を決めなければならない。迷っている時間などなかった。
ショックで打ちのめされる中で考えて、決まった進路が「好きだった絵が描けるデザイン専門学校」だった。少しの志望動機とお題に添うイラストを描けば合格できる学校。
そうして卒業式直前に何とか私の行き先は決まった。

 

何とか実家から脱出できる歓喜より見知らぬ土地へ働きながら学校に通うというハードモードを想像した恐怖が勝る感覚を携え、高校を卒業した。

 

こうして私の大学受験は終わった。

 

ただ、これは「現役」での話。その5年後改めて「大学」を目指しなおすのだが、それはまた別の話。

「お盆」にまつわるエトセトラ

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盆入りの今日ではあるが、その数日前に旦那さんと墓参を済ませた。


旦那さん方の墓所は割と街中にあるので、時間が掛からず向かうことができ、車ですぐ乗りつけられる。
こんなことを言ってよいのかわからないが、毎年のことながら旦那さん方の墓参は本当に楽なのだとしみじみする。
なぜこんな風に感じるのかというと、私が今までやってきた墓参というのは、中々大変だったからなのだ。

 

結婚を目前に実家を出るまで、月に一度の父方墓所の墓参と掃除は私の役目だった。
特にお盆前は念入りに掃除をする。

その為母親の仕事の都合が合えば一緒に行くこともあったが、大抵の場合私1人で山深い父方の実家方面に車を走らせる。

 

車を停められる広場まで辿り着くのに50分。徒歩で畑と山を分け入って登り、墓所にたどりつくまで10分余り。その登りの途中で親族宅があり、そこで墓所で使う水を分けてもらい、更に登る。(山の中の墓所の為、水道施設がない)


登った先の畑の片隅にひっそり一族の揃う墓所がある。ここの墓参は蚊取り線香をつけ、「掃除」という名の草払いから始める。畑の片隅なので一年中草の生えない時がない。
「草払いが中心か」「落ち葉かきが中心か」それだけの差だ。
お盆時期は嫌という程、草が覆い、茂る。正直除草剤を使いたいところだが、周りが畑なので撒くわけにもいかず、うんざりしつつも蚊取り線香の煙に包まれつつガシガシ草を払う。

 

「墓参=草払い」なので、必然的に作業着(にしている古着)を着ていく。
正直、周囲の草刈りを終え、仏花の水替えをし、仏様用の線香に火をつける頃には、頭の先から体じゅう汗でどろどろ。
自宅でしっかり塗り込んだ日焼け止めもすっかり流れおちてしまっている。
墓参が済むと来た山道を下り、目隠しをした車内でサッと着替えて帰宅する。

 

そんな感じの墓参で、確実に半日は取られる。
早めに出られない場合は手弁当持参で作業に当たらなければならないから、失笑しか出ない。

 

それがお盆半月くらい前。
そしてお盆入り直前は、盆提灯を出して飾り、お供え膳の仕込みと仕上げまで私一人でやってしまう。
サービス業従事の時に出来なかった分、慣例通りに休める仕事に転職してからは、ほぼ自分でやってきた。
実家にいた頃の方がよっぽど「結婚後の義実家」さながらだ。

 

ここまでやりこなさざるを得なかったのも、色々あっての結果なのだが、それを考えると、ただ心穏やかに墓所にて手を合わせられる今が本当にありがたいと思う。

 

因みに母方墓所の墓参も勿論行ってはいたが、母親と共に行くことが多く、私は墓所に向かうための運転手としての役目がメインだったので、少しは楽であった。

点数のつけられない日々~はじめていくばしょ

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以前から「図書館」という場所には不定期に通ってはいたものの、不定期とも言い難いような年に数回あるかないか程度でしか通っていない。

それが、今年に入ってからというものの、やたら図書館に通うようになっていた。
買うまでもないが、とりあえず目を通しておきたい。そういう本を中心に借り、「手元に置いておきたい」と思える本に出会えたら、新品や中古であたって購入するという流れが日常茶飯事となった。

 

そんな図書館ライフを送っている今日この頃。
てっきり図書館についてつらつら書き綴るとお思いだろうが、そうではない。
とりあえず読み進めて頂きたい。


ついに近場の図書館で満足できず、先日、住む地域最大の蔵書を誇る大きな図書館の利用者証を作ることを決心した。
近場の図書館では蔵書がなく、購入するにしてもその前にどうしても中身を確認したい。そんな本が出てきてしまったからである。

 

その最大図書館は、過去に2度程しか訪れたことない場所。
いつもの買い出しのついでに寄ろうと車を走らせた。

 

実は自分の運転でこの図書館に来たことがない。自分の運転で乗りつけるのは初めてなのだ。
とかく私は「初めての場所」というのに弱い。無駄に焦り冷汗だらだらになってしまうのだ。

「いつもの買い出しのついで」というポップな暗示をかけているにも拘らず、である。

 

因みに蔵書最大図書館の駐車場は地下と地上の2つある。
この暑い最中、地上駐車場に停めるということは考えなかった。当然のように、地下駐車場に車を進めていく。

いつも行き慣れた近場の図書館の駐車場は明るく、見通しがよい。
そのため、「似たような感じだろう」という感覚で車を進めていってしまったのだ。

 

ところがである。
蔵書最大図書館の地下駐車場はびっくりする位真っ暗だったのだ。
子供の頃慣れない父方の実家に泊まりに行った時、豆球なしの真っ暗中寝なければならなかった時の暗さと不安感によく似ている。
これなら、暑さを引き換えにしてでも地上駐車場にすればよかったと思う程だ。

 

後悔を抱え、冷汗はかきまくりのまま、暗い中を進んでいく。
そうすると遠くにうす明りが見えてくる。図書館の入口である。
明かりがこんなにありがたく感じるのはどれ位ぶりだろうか。

 

明かりがある付近は停めてある車が多かったので、入口から少し離れた車の少ない駐車箇所に停めることにした。
初めての場所、自分の車も人様の車を傷つけたくはない。余裕をもって車をとめる。
ゆっくり、白線内に停めるようバックで入れていく。

 

グギ ガリリッ

 

嫌な音である。
初めての場所で冷汗をかいているところに、頭の毛穴全開とばかりに冷汗が溢れる。
余りに暗すぎて、柱の存在が見えていなかったのである。

 

「マジか……やってもうた」
ただ車はまだ停車箇所の半分しか入っていないが、とりあえず所定の位置に車を収めないといけない。
冷汗による手汗でハンドルがすべりそうになりながら、何とか停める。

 

傷ついたのは左のミラーだった。
車を停めて、あわてて傷を確認する。しかし、暗すぎてわからないのである。

 

ショックを受けつつ、図書館内へと向かう。来慣れなれていないこととついさっき起こった出来事のせいで、無駄に迷う。
借りる本のことや、利用者証の作成のことを考えたいところだが、どの程度かきちんと確認できていない車の傷の方が気になって本来の目的を忘れそうになる。
そんな思いを振り切りながら、しどろもどろで利用者証を作成の手続きをする。

 

広い図書館内の為、案内図を見ながら目的の本を探し当て、いざ貸出。
いつも行っている図書館の自動貸出機と勝手がまるで違う機械に戸惑いながら、エラー音が止まらない。

たった2冊しか借りないのに、私を横目に隣の貸出機で小学生が慣れた様子で4、5冊借りていってしまった。

全ては、あの暗い地下駐車場とミラーについた傷のせいである。

 

無事貸し出しに成功し、逃げるように図書館を後にした。
買い出し先の、差すような日差しの中で確認したミラーの傷は思った以上に深く、存在感を示していた。
こんな傷を作るのは運転し始めた頃以来ではないか。
暑くてかく汗なのか、冷汗なのか、わからないような汗が背中を流れていく。
とりあえず、買い出しを手早くすませ、家路を急ぐ。

 

そして帰宅後、旦那さんに派手にやらかしてしまった旨を伝える。
「形あるもの傷つくものだから」と許してくれた。

こんな時でも咎めることをしない旦那さんで有難さの極みである。

 

とりあえず、旦那さんの優しさに甘えることなくセルフリペアをやった方がいいかもなと思っている。(やるとは限らないし、まだやってない。)

 

そして、「初めて行く場所、油断禁物」である。