【ネタバレあり】映画「こちらあみ子」と原作本を見て読んで改めて思うこと(後編)

【前編からの続き】

原作は「おばあちゃんの家に預けられたあみ子」の生活描写から始まる。
そこからこれまでのことを回想するという流れになり、映画に描かれた物語へ繋がっていく。

 

原作と映画は時系列が若干ズレるが、映画自体は原作に忠実に描かれており、あみ子の「これまでの生活」がより具体的で鮮明に語られている。(尚、原作でもあみ子が発達障害である旨の言及はない。)

 

映画冒頭であみ子がおかあさんに叱られるシーンのセリフに
「インド人のマネももうしないって約束できますか?」
とあるが、この「インド人」は何であるのかということもきちんと回収している。
(給食でカレーが出るとなりふり構わず手で食べてしまうとのことだった。) 

 

原作を読むと、映画が原作を丁寧に踏襲していることが分かる。映像で先に見たせいか、映画の方がマイルドになっているような印象を受ける。
原作の方が、より精細にあみ子の気持ちも、周りがどのように対応していたのかも生々しく描かれている。

原作に対し「一縷の望み」を託した私は、より「何ともいえない」気持ちになってしまった。

 

ただ、原作冒頭に「映画で描かれた物語のその後どうなったのか」ということが分かるように書かれているのは、ある意味では救いになっているかもしれない。(おばあちゃん以外の人との交流が全くないわけではなかったため。)

 

ただ、やっぱり実家家族に似た感じの人間がおり、それに苛まされた私にはいいとも悪いとも言えない。

 

「何とも言えない」

これがこの物語に対する感想の全てだ。

 

しかし、もう少しお父さんは社会性を教えた方がよかったのではないか。
途中からお母さんになった人だけがどうにかしようとしていたような、お兄さんもまだ小さい頃の内は頑張っていたような、そういう印象は映画を見た時と変わらなかった。

 

私の子供の頃に比べれば、発達障害に関する世間の理解は確段に進んでいる。
ただ、あみ子の場合はそうした治療めいたことや診断も振り切ってしまうのかもしれない。
そうなると、やっぱり転校前に坊主君と話した時の「あの頃のあの時」が自主的にあみ子が社会性を持てるかもしれない最後のチャンスだったのだとしか思えない。

 

率直で遠慮もないあみ子を眺め続けることは辛い。

 

余計なお世話かもしれないが、少なくとも私は彼女がこのままで良いとはとても思えない。
当事者自身も苦しんでいたことを知っているから。
当事者家族であることの大変さを知っているから。

 

 

ただ、ここまで気持ちを揺さぶる作品になっているのは、原作・映画どちらともすごいという証明にもなるだろう。(原作が世に出た時、相当な衝撃だったという記事も多くみられる。)

 

 

ただただ「何とも言えないもどかしい気持ち」とは裏腹に、今も私の頭の中で時折あみ子が走り回り、そうかと思えばフッと立ち止まり私をジッと見つめている。

 

頭の中でただジッと見つめるあみ子と同じように、私も見つめ返すことしかできなかった。

【ネタバレあり】映画「こちらあみ子」を見て思うこと(前編)

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先日観た、この映画の感想を端的に述べるなら、「何とも言えない気持ちになる」。
これに尽きる。

 

映画予告やプロモーションでは、純粋な子供の気持ちを余すところなく表現したものだという明るい印象があった。
確かにそれに間違いはないのだが、良くも悪くも「全てにおいて居た堪れない」という感想にしかならなかった。

 

あみ子は「知的障害を伴わない発達障害」であるのだろうなということは、特に言及はないものの冒頭のうちから見て取れる。
周りの人々があみ子と過ごす時間が長くなればなる程、周りがどんどん歪んでゆく。
「歪んでゆく」というより「歪みをを埋め合わすことが難しくなる」という方が正しいかもしれない。

 

それが決定的になってしまったのは、自宅庭の「墓札」だった。
あみ子にとっては「最大にして最高の弔い方法」だったはずだが、飼っていたペットの死と下の弟(妹)の死を「庭で同列」にしてしまうのは、人間の道理として「違う」ことなのだ。
あみ子にはそのことが理解できないし、周りもそれを教え悟そうとしない。教えても、彼女に届かないと感じているからなのだろうか。そうなると、家族と共に寄り添うことなど困難になる。

 

兄は分かりやすくグレて家を出てしまうし、継母は「墓札」の一件で完全に病んでしまい、父親は最終的に自分の母親(おばあちゃん)にあみ子を託し、自分だけ元の家に戻ってしまう。
あみ子の心の拠り所であった「のり君」との関係も、その後完全に崩れてしまった。

 

おばあちゃんの家に預けられたあみ子は、今後この社会で生きていけるのかどうか、いささか心配になる。
それは「誰もあみ子に社会性を教えようとしない」から。おばあちゃんにどれほどのことができるだろう。
ずっとおばあちゃんと暮らすわけにはいかないし、いずれは生きにくかろうと社会と関わりを持たなければならなくなる。そうした時にあみ子はどうなってしまうのだろう。

 

そんな感じで「何とも言えない」気持ちになってしまうのである。

 

劇中、唯一寄り添おうとした「坊主頭のクラスメイト」がいたことは救いであった。
映画終盤にあみ子が「気持ち悪いんじゃろう」「教えてほしい」と彼に問いかけるシーンがある。
その問いに彼は「あるけど、オレだけのヒミツ」と言って去ってしまう。
これは彼なりの優しさなのだろうということは理解できる。
しかし、彼はあみ子に「本当のこと」を伝えた方がよかったのではないかと思えて仕方がないのである。

 

彼女が「社会性」を身につける、最後のチャンスじゃなかったのか。

 

そう思ってしまうと、「何とも言えない」気持ちになってしまう。

 

 

監督はあみ子を演じる大沢一菜さんに「芝居をしないように」と伝え、特定のイメージを寄せないように撮影したのだという*1

そのことによって劇中のあみ子の存在が際立っている。「救いはあみ子自身の中にある」ということを描きたかったのかなとも思わなくもない。*2

ただ、あみ子ほどではないものの、「そういう感じの人」と暮らしてきた経験がある身からすれば、どうしても「無責任ではないのか」と少々憤りすら感じるところもある。

 

 

彼女は彼女の人生で、私が感知するところでもない。
ましてや「とあるフィクション」で「その映像作品」でしかない。
それなのに「あみ子」は、まざまざと自分の生き様を見せつけ、観客に「わたし」を訴え迫ってくる。
これが作品としての素晴らしさなのだろう。

 

 

ただ、それでも「何とも言えない」気持ちになってしまうのだ。

 

どうしてもこの気持ちの落としどころをつけずにいられなくなり、原作を手に取ることにした。

 

 

【後編に続く】

そんな今月、7月。

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所詮ブログなんて個人事を書く場なので書いてしまうが、今月1つ年齢を重ねた。
「アラフォー」なんて軽々しく言える年齢ではなくなってしまった。

 

「40」をすぎてからわかりやすく体調の異変が起こっており、それでも何とか凌いできた。
しかし、やはり年齢には逆らえないなと思うことが多い。

 

その折に、わかりやすく不正出血が起こってしまった。
来るべき周期外の出血。月に2度目の……である。

 

年1度の検診は受けているものの、こういうことは今までに経験のないことなので、慌てて一番近くの産婦人科に行った。
出血をもよおしながら診察台に乗ることも初めてで、通常の状態で検査することさえ気恥しいのに正直勘弁してほしい位だ。
こればかりは幾ら年齢を重ねたとて苦痛でしかないが、自分の身体を診てもらうためには仕方ない。

 

結果としては「子宮内に小さい筋種があり、良性であるので特に心配はない」とのことだった。他の器官に異常は見られず、とりあえず「出血の原因はよくわからない」で終わった。

 

「良性の筋腫」とのことなので特段心配はしないが、余り気持ちのいいものではない。そして、出血の翌日に行ってるので、「わからない」となるのだろうと何となく思った。
何より、きちんと診断をするにはもう少し様子を見る必要性があるのだろう。

ただ「出血量が増えるのは閉経が近いから」ということは、兼ねてから知人から聞き受けていた。
年齢からして、多分私もそれなんだと思う。

 

10代以降、月経がある度にその前後で精神的にも身体的にもうんざりすることばかりだった。だからといって何か対処するわけでもなく、せいぜい鎮痛剤を飲んでやり過ごすしかできなかった。
何とかしたいものだと思いつつ、具体的に何もできないままだった。

結婚以降、自分自身を顧みる余裕ができ、色々と調べ模索した数年前。地元で評判の漢方内科に通うことにした。今もその漢方内科さんを頼り、漢方薬で体質改善を続けている。

 

そうした「女性の周期」も終わりに差し掛かっているのは、いいのか悪いのかわからない。
終わったら終わったで、きっと別の問題が生まれるのかもしれないなと思っている。

 

来月、漢方内科に行く時には、このことを伝えよう。
そして自分にできる身体のセルフメンテナンスは続けていこう。

 

そんな今月、7月。

「話し合える」ということ。

このようにツイートされたものが、先日私のところにまわってきた。

「話が全く通じ合わない家族もある」このことに同意せずにいられない。

 

幸い「全く」 通じないわけでもないが、いつも「通じ合わせたい時」に通じないということは多々あった。

 

前に書いたブログ記事のこともそうであるが、
父親と母親との会話
弟と母親との会話
……私が介さない会話でも話し合いが成立していないことが多かったのだ。

 

そのため(特に思春期は)、議論めいたような話し合いを家族とは必要最低限にしていたように思う。成立しない話し合いを見過ぎてしまった。

 

大人になり、本音をぶつけたところで、母親は泣きじゃくって話にならないし、弟は逆上し捲し精神的に追い詰め、やもすれば手が出ることもあった。

 

父親は、元々無口な人で、結婚した早々に訳あって出稼ぎに出ていた。それまでは盆正月には必ず帰省する人だったのだが、私が中学生頃から出稼ぎ先から実家に帰省することは殆どなくなっていた。そのため、余計に会話が成立する気配はない。
稀にある帰省時でも会話をしようものなら、自身の持論以外話そうとしないので、どうしようもなかった。

 

今でこそ、実家家族は「発達障がい」に絡んでいることが私自身の感覚でわかっているので、仕方ないと思える。
しかし、そのことに気が付く頃までは、腹立たしい気持ちもありつつ「うまく伝えきれない私も悪いのだ」とも思っていた。

 

大人になってからは、それなりに経験を積み、物の見方の幅が広がったおかげか、弟と母の揉め事の仲裁に入ることもあった。仲裁が成功することもあったが、余計話がこじれ、「母親か私のどちらかがが泣いて、うやむやに終わる」という消耗戦ばかりで、どうにもこうにもならないことの方がはるかに多かった。

 

今はというと、実家家族とは物理的に離れているので、話し合いの場は無いに等しい。

かたやASD傾向(グレーゾーン)のある旦那さんとは、混迷を深めてしまうことはありつつも、基本的にはしっかり話せており、話し合いとして成立できている。
お互いにちゃんと話に耳を傾けることができ、「一人の人間であること」だと認め合えているからだろう。

 

グレーゾーン(仮)でありながら実家家族にはない属性の旦那さんに私は随分救われている。
会話の成立がこんなに心地よいものなのか、と思う程である。(ただ、私の特牲として、消耗しがちな点は否めないが……)

 

宗教が絡まなくても、こんな感じになってしまう家は市井の人々が思う以上に多い。
では、逆にこんな実家家族が宗教が絡むとどうなってしまうのか。全くないわけでもないので、何かの機会で書けたらいいなと思っている。

 

宗教が絡まずとも、そういう実態があるということを知ってもらうだけでも、私はありがたいと思う。

 

 

それが思うように救いに繋がらなかったとしても。

#わたしを作った児童文学5冊 …もない。

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トレンドに入っていて、様々な人のツイートを見ていて思うこと。
「知っている作品がほとんどない」ということだ。

正直図書室にも、言う程通っていない。
たまたまクラスの子について行って、その子が借りていた本のシリーズを私も真似して借りるようなことはしていたものの、(諸般の事情で)その後足繁く図書室に通うということはなかった。

そんな図書室経験の浅い私は5冊も選べない。それでも記憶ある本を紹介し、(少し前のトレンドではあるが)便乗してみようと思う。

 

・沢井いづみ「わたしのママへ・・・さやか10歳の日記」

今でこそ「萌え絵」の絵本等が多く出回るようになっているが、個人的にはこの表題作品を筆頭とする「10歳シリーズ」がそのハシリではないかと勝手に思っている。


私が当時手に取ったのも、クラスの子が借りていたことが直接のきっかけではあるが、表紙に描かれた絵柄に惹かれたというところが大いにあった。そして、内容にもインスパイアされた。


その当時のずっと前から自分の気持ちの持って行きようのなかった私は、エメラルドグリーンの「全くオシャレでも何でもない大学ノート」を近くの商店で買い、「自分だけの日記」を書き始めたことは覚えている。


本当はこの本に出てくる「ペパーミント色の日記」のようなオシャレっぽいノートが欲しかったが、そういうファンシー雑貨を扱う文具店はバスで30分乗らないと辿り着かない所にしか売っていなかったのだ。
オシャレでなくてもいい。とにかくこの本にあやかるかのように大学ノートにイラスト込みで思いの丈を書き込んでいたと思う。

何を書いていたかはすっかり忘却の彼方ではあるが、自分の部屋がない上に、ノートが大きくてうまく隠しきれていなかっただろうということは覚えている。
そして「本」の内容と同じく、きっと母親にも掃除のついでに読まれていたことだと思う。

そんなことを思い出した。

 

同シリーズの他作品、「あゆみ レモン色の交換日記」と「ジュン ちょっと初恋」は読んだ覚えが何となくある。ただ、人気がありすぎてボロボロになってしまったのか、私が全部読破する前にシリーズ本全て「帯出禁」になってしまったように覚えている。

 

そんな「10歳シリーズ」。今ではこの表題本しか刊行されてないようで、残念無念である。

 

・悪魔の紋章(江戸川乱歩)

江戸川乱歩作品で「指紋がカギをにぎる話」だけの当時の記憶しかなく、検索してみて多分これだろうなという推測の元、今回改めてタイトルを知る。


小学生当時「3つの鍋の指紋が残されている」という特徴的な指紋の絡む内容で、それまで、全く推理小説に手を出していなかった。
それなのになぜ手に取ったのかというと、かつて見たTVドラマ「ハングマン」シリーズに「三重渦状紋が死体に残され、その犯人を追う」という話があったからだ。

子供ながらに三重の指紋のことをよく覚えていて、なぜかハングマンとこの話を結びつけることができたのだ。なぜか。

ただ、ハングマンと本は全く違う内容でがっかりした記憶だけは残っている。

 

私が子供の頃読んだ本で記憶に強く残るのはこの2作だけ。

 

あと、虫垂炎で入院し、退院した際に学級文庫に「世界名作集」を5冊寄付したうちの1冊は読んだかもしれない。「ああ無情」だったはずだ。

 

その5冊は私が選んだわけでなく母親のセンスで選んでいるので、そもそも興味をひかなかったのだろう。クラスの子も読んでなくて、寄付した本だけがキレイなままだったのが、ただ悲しかったことを思い出す。多分、そのまま置いてきてしまった。

 

既に母校である小学校はなくなってしまったので、寄付した本もなくなってしまった。
もう30年近く経っているので、そうでなくても、とうの昔に失くなっているのかもしれないけれど。

 

 

それから30年以上過ぎた現在、かなりの頻度で図書館に通っている私がいる。
あの当時の埋め合わせをするかのように……。

点数のつけられない日々~もえるゆめ

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夢を見た。
普段から夢を見ることの多いタイプであるが、今日見た夢はとりわけリアルで怖すぎて目が覚めた。

 

実家が火事に見舞われ、燃えに燃えまくる中、なぜか私とぼる塾の3人が一緒にいた。
私がはるかさんとあんりさんを別のところに車で送っていく、というその時に実家が燃えだしたのだ。

田辺さんが「ああっ!あああ~っ!」と叫んでうろたえてる間に、私は(なぜか体よく)足元にあったLPガス小型ボンベほどの大きい消火器で消しにかかる。

因みにはるかさんとあんりさんは私の車に先に乗ってもらい、車中で待たせた状態だ。

熱さを感じることもなく、汗一つかかず淡々と消火に当たっていた。車に人を待たせていることを気にしつつ、「この家が内心燃えてしまっても仕方ない」と思いながら。
消火器の中身が切れて、「2本目の消火器が台所にあったはず!」と思い出し、火の中をかいくぐって取りに行くという時に目が覚めた。

 

さすが火の中にとびこんで行くのはヤバイとでも思ったのだろうか。

AM4:00すぎだった。
ただ怖くて、一瞬今寝ている自宅が燃えていないか心配になり、ハアハア言いつつ半身を起こし見渡した。隣には旦那さんがスカスカ心地よく寝息を立てている。

そう、現実はこっちだ。

 

思わず、スマホで「火事 夢占い」で検索した。
実家の家事は「過去との決別」を表しているらしく、火消しは「情熱をコントロールできる」ことを表すらしい。
また、消火剤が不足で火が消えないのは「コントロールできていない」とのことらしい。

 

これをどうとらえるべきなのか。
結局「過去との決別」に迷いを抱えているということなのだろうか。

実際、決別したくてもそうはいかない色々があるのは事実だ。

 

ただ、冷静に行動をしていた夢の中の私はやけにリアルだった。
「内心燃えても仕方がない」と思いながら消火に当たっていた夢の中の私の気持ちがやけに生々しく、目覚めてもなお手汗がそのまま残ったような感覚だった。


直近に書いたブログやその周辺の情報に影響されているのか。
それほど自分自身にボディブローを食らわしてしまっているのかもしれない。

 


ただ、現に「過去との決別」をずっと望みつつ、このブログをしたためているところもある。だからといって、何かが見て取れるように変わるなんてことはないが。

とりあえず、夢占いの診断については、まあ「あながち間違いではない」ということにしておく。

 


しかしなぜ、ぼる塾と実家で一緒にいたのだろう。
うろたえていた田辺さんがどうなったのか。先に車に乗せて待たせていたはるかさんとあんりさんがどうなったのか。途中で目が覚めてしまったので分からないし、寝直して夢の続きが見れるわけがなかった。

しかしぼる塾の3人のおかげでリアルで怖さを感じるこの夢は、ほんの少し笑い話のようになった。

それはそれで、私にとって良かったのかもしれない。

 

hapasasa.hatenablog.jp

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「娘」だったはずの「母親」は「娘」だった頃を忘れるものなのか

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私にはわからない。もう「母親」になることはないから。

 

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西原理恵子氏とその娘氏が話題だ。(娘氏は「彼女の娘」とされるのは嫌うかもしれないが、この記事の表現便宜上、「娘氏」とさせていただくことを了承願いたい。)


娘氏による心情を吐露したブログが引き金になっており、既に一番該当するであろう記事は一旦ブログ上から姿を消した。

反響が反響を呼び、SNSのトレンドに沈んでは浮上し、また沈んで……ということをここ数日で繰り返している。

 

盛んなトレンドに乗るのは恐ろしさを感じつつも、私の中でどうしても避けては通れない感じがした。私も毒親・毒家族育ちだからだ。よってこの気持ちをどうにか言語化できればと思い、綴っている。

 

 

私は西原作品が好きで、若い頃はよく読んでいた。
古の雑誌「uno!」に何故かハマってしまい読んでいた頃、やたら目についていた記事があった。それが「鳥頭紀行」であり、「彼女」のことを知るきっかけとなった。

程なくして、図書館に足繁く通う日々の中でたまたま書架にあった本を借りる。群ようこ氏との対談本、赤い表紙が忘れられない「鳥頭対談」である。

この対談本、全編において様々なことをテーマで(良いように言えば)ざっくばらんに語り合う内容となっているのだが、最初のテーマが「実母」なのだ。お互いの実母について、友人同士の愚痴感覚でこき下ろすざっくばらんに語り合う内容なのである。当時まだ年端も行かない若造の私にとって、「度肝を抜かれる」という言葉では不足するかのような衝撃を覚えたものだ。

それまで「親に感謝して当然」とされてきた中で育った。親に対する気持ちにモヤ付いていたある日、親戚が配っていた某宗教系雑誌の「開けた未来を送るため」寄せられた人生相談の記事にも似たような感じで書かれていた。

そうした風土や内容に随分辟易していたものだった。当時の気分的には、これまでの色々を思い出し、とてもそんな気持ちになれなかったのである。そんなモヤ付いた心的状況の中、この本を読んでしまったのだ。「自分の中の違和感が間違いではなかったのか!」と至極、至極安心したことを今でも鮮明に思い起こさずにいられない程である。
私にとってのいわゆる「心的親殺し」は、この本きっかけであるといっても過言ではないだろう。(エキ●イト携帯ホームページを始めたのも、これきっかけのところが大きい。)

 

それ以後、職場の同僚から「ぼくんち」を貸してもらい読み、「上京ものがたり」「女の子ものがたり」購入し、大いに涙を流したものである。

辺境田舎出身による悲しさや(そこまで酷くはないものの近しいような)取り巻く底辺ぶりに共感しか覚えなかったのだ。
しかし、それ以降「彼女」の新しい作品に触れることはなくなっていた。


毎日かあさん」も作品の存在こそ知ってはいたが読んだことはなかったし、本を手に取ることもなかった。なぜか。

そして、なぜか読み返したくなり、トレンドに上る数日前に私は図書館で「鳥頭対談」を借りて、借りたままになっていた。
そんな中で起こった今回の娘氏によるブログ記事。……何かの虫の知らせというのだろうか。

 

好きだった作品を作り出していた「彼女」は、娘氏にとっては毒でしかなかったことがショックであった。が、きっとそういう風にしかできなかったのだろうと思えてしまったのだ。

気性荒めの辺境田舎の漁村で、手荒に育てられ、必死に生き延びてきた「彼女」にとってはそれが当たり前だったのだろう。(得てして(かつての)地方漁村は手荒な言葉ですら「冗談」として片づけてしまう悪しき風習みたいなものは存在すると思っている。そして、私にも身に覚えがある。)
「毒の中で育つと自身も毒を持つ親になる」ということは、児童虐待・AC(アダルトチルドレン)界隈でよく言われる事だ。
そこから「『彼女』もそうなってしまうのではないか」という、過去作品の読後感に残る私の中の妙な予感は間違ってなかったのだと思う。恐らく、ある日を境にパタッと作品を追わなくなった理由の一つになりうるかもしれない。

 

「彼女」は自分そっくりな娘氏に「彼女」自身を重ねすぎてしまったのではないだろうか。そして暴言を放ちつつ、すべきことはきちんとやってしまう裏腹さは、毒親なら十分ありうるのではなかろうか。(私の母親もそういう所があったのだ……)

 

しかし、娘氏のブログ記事を読む限り、何をどう言おうとも「彼女」は娘氏にとって足枷でしかなかったのだろうと思う。(田舎特有の手荒な冗談だとしても。暴言は冗談と済まされない。)
娘氏だって、本当ならこんなことを思いたくもないだろうし、書きたくもなかったのではないだろうか。兄と同じように対等に愛される実感が欲しかったのではないだろうか。(これは邪推かもしれないし、踏み込み過ぎた感情かもしれないが。)

 

ただ、「彼女」はずっとやらかしてしまっていたのだ。「一番最初にお披露目する作品」から16年も。


16年の最後とされる作品である本を当然ながら私は読めていない。読む気になれなかったというのが本当のところだ。
以前NHKの番組として、「彼女」の女子大での講演の模様が放送されていたのを見たことがある。「ああ、私の好きだった作品の頃の『彼女』ではなくなったな」と感じてしまったのだ。
多分、この感情が私の中の妙な予感の全てを表すと思う。

そして「娘氏のブログ記事」は「彼女」に対するこれまでの反歌的なものにあたると感じた。最初にまいた種は巡り廻るのだと思わずにいられない。

 

 

辺境田舎(漁村)の実体をそれとなく知る私は、この件の「彼女」のやり口を理解できないわけではない。勿論肯定するつもりはさらさらないが。ただ、「彼女」はそのノリで娘氏にぶつかっていってはダメだった。娘氏は血を分けても「彼女自身」ではないのだから。


彼女の作品が好きであっても、病める娘氏の気持ちは痛いほど共感するし、全振りで娘氏の肩を持ちたい。

 

いつまでもいつまでも、親との間のことは残る。薄れていっても消えることはない。

これは、私が結婚しているにも拘らず「人の親」になることなく、未だに「娘」の立場でいるからかもしれない。
ただ、「母親」になることで、あんなにしんどい思いをした「娘」だった頃の気持ちを忘れてしまうくらいなら、私は「娘」のままでいいと思ってしまう。

たとえ甘っちょろいと思われても。

 

 

 

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私にはわからなくていい。忘れてしまった「母親」になるくらいなら。

 

 


そして、今必死でもがく娘氏を、心の底から応援したい。

 

 

 

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