家を出るため、大学に「行きたかった。」

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この漫画にすっかり感化されてしまったので、私も書いてみようと思う。

 

 

大学に行こうと心に決めたのは小学生時代。

「それいけ●コロジー」というTV番組の美輪御大の雰囲気に圧倒され、「心理学」というものに興味を持った。
程なくして、友人がハマっていた「ぼくの●球を守って」を借りて読んでから、「心理学」を学ぶことに当時の私の中で妙な確信を得た。

第2のヒロイン「モク=レーン」が大学で学んでいたから。モク=レーンと同じく、「人の心とは何なのか」ということを知りたくて仕方なくなった。

何より心理学を学べば、私は悩みから解放され、救われる。そして、あわよくば実家家族への変化を促すことができるのではと当時の私は本気で思っていた。

そして「私のような思いをする子供を増やしたくない」という思いで将来の夢を「スクールカウンセラー」と定めた。

 

一筋の希望を抱きながら、中学生になり「高校には行かず飛び級で大学に行けないものか」と中学生ならではの思考で悶々としながら、中学校図書室にある古い心理学の本を貪り読んでいた。
勉強自体は平均~ちょい下をうろうろするような感じで大したことはなく、志望していた進学校を諦め、ランクを落した実業系高校の普通科に通うことになった。

 

中学3年当時、無理をわかっていても地元の進学校に行くつもりで、旧日本育英会奨学金の審査も通過し、勉強をしていたが、成績は伸び悩んでいた。進学校に行けるかいけないかぎりぎりのライン。
それを見かねた当時の担任が「ランクを落とした実業系の普通科の方が、○○(私の本名)自体が実際勉強で苦労せずに済む。それにそこの普通科は推薦での進学率が高いから、うまいこと内申点取って、それで大学進学した方がよいのでは?」と進路面談の時に教えてくれたのである。

都市圏からその年に赴任してきたばかりの担任は、一線を画していた。郡部ばかりで転勤を繰り返す先生方にはそんな発想は出てこないだろう。明らかに雲泥だった。

 

そういうことを考えたことのなかった私は、その先生の提案に乗る形で、無事「実業系高校普通科」に転がり込むことができた。
正直、元々の志望校ではなかった為、合格した高校に通うのは乗り気ではなかった。
とりあえず、「貧乏でも親に頼らず進学できる方法」と「心理学を学べる大学を洗い出すこと」に専念していた。

教室に置いてあったリクルートブックをクラスの誰よりも読み込み、警備員さんが学校自体を締め出すギリギリまで教室に居残って自習をしていた。


が、実際時間が経つと、当時所属していた「校内で唯一絵の描ける部活」経由で生徒会入り。そこで生徒会活動に夢中になり、何げに高校生活を謳歌することになっていた。

 

恐らく、小中学校が同じであった弟の目が届かなくなったというのもあるだろう。
しかし、何より「学校に集う人達が怖面白かった」というのがある。
かつては地域ダントツのヤンキー校とも評されていたこともあり、(大人しいながら)ヤンキーかぶれみたいな人もいたし、そういう生徒を相手にする先生達もユニークな人が多かったように思う。生徒会で先生達と絡む機会が多かったから尚更かもしれない。

 

学校生活を満喫する分、成積は伸び悩み、志望校推薦もギリギリライン。
志望校のランクを下げることも勧められる程になってしまった。
ただ、絶対的に新聞奨学生でないと進学は不可能。新聞奨学会が承認している大学から志望校を選ばざるを得なかったので、自分の実力より格上のところを志望するしかなかった。

 

お世話になる新聞奨学会は学校にいち早く営業をかけに来た大手新聞社のところに決めた。(そのおかげでトンデモな販売所に入れられることになるのだが。) 
営業に来た奨学会以外にも3.4社程資料請求をしていたことで、後に営業をかけに来る奨学会の人もいて、困惑したこともあった。
最初に営業に来た奨学会の方に「承認される大学が増えることはあるのか」と尋ねてみたたものの「難しいですね」とやんわり否定されてしまった。
そんな理由もあり、ランク上の大学推薦を目指すしかなくなっていた。

 

中学同様、数学・英語が伸び悩みながら、一般入試向の対策はしつつも、とにかく推薦で受かるつもりでいたので、課外授業は中々身に入らなかった。

推薦入試の選抜科目は小論文・面接だったため、生徒会で培ったツテを駆使して、普通科目以外の実業系科目の先生にも面接練習をお願いするようになっていた。
何の気なしにいつものノリでお願いした養護教諭に、「受験面接対策」とは名ばかりの心理カウンセリングを受けることになる。

そこでその後の指針となるような「気づき」と現役の臨床心理士の方を紹介して貰い、実際アポを取り、仕事の話を聞きに行った。(そこで初めて私自身がアダルトチルドレンであることを知る)
その事実に動揺しつつも、推薦入試対策を重ね、できる限りの努力はした。

 

志望大学は関西圏にある。
推薦入試は1人で行った。
旅行代理店でホテルと飛行機のチケットの手配し、前日に関西入り。
会場周辺の見学もし、万端で試験日を迎えた。はずだった。

 

面接試験当日。
小論文は何なくクリア。自分なりに手ごたえを感じる位だった。
そしていざ面接となった時、あれだけ練習を重ねたにも拘わらず、私は学部長が放つ何とも言えない威圧的な雰囲気に飲まれてしまった。
両脇の教授陣はそうでもなかったのだが、とにかく学部長の圧は別格。
それでも淡々としっかり返答していたのだが、「志望動機」を尋ねられた時に、何故か感極まってしまったのだ。
スクールカウンセラーになり、生徒に寄り添い助けになりたい」それを伝えればいいはずなのに、「自分が救われたい」という気持ちと、辛かったこれまでの実家の色々がバアっと頭を掠めてしまい、涙がこぼれ落ちる寸前だった。
脇の教授の1人が、私に答えやすいように助け船を出してくれて事なきを得たが、面接終わった時点で「なぜあんな事になってしまったのか」と自分自身に打ちのめされ、関西を後にした。

1週間後、「打ちのめされた感じのまま」の通知が届いた。
面接練習でお世話になった先生方に対して申し訳ない気持ちになった。
アテにしていた推薦で大学合格を取りこぼした。
センター試験の準備はしていないので、生ぬるくしかやれていなかった一般入試対策を慌てて追い込む。
追い込んだところで知れたもので、試験会場になる大都会で1週間ホテルに泊まりこみ、かなり入試受けてはみたが、案の定全滅だった。大学入試をナメ切った結果だ。(因みに大学受験の受験料と旅費は高校授業料減免による奨学金のプール分で賄った。)

 

現役での大学合格の夢は完全に絶たれた。決まっているのは新聞奨学生の枠だけだ。

とにかく実家から出なければ「私自身」が殺される。
その一心で、とにかく進路を決めなければならない。迷っている時間などなかった。
ショックで打ちのめされる中で考えて、決まった進路が「好きだった絵が描けるデザイン専門学校」だった。少しの志望動機とお題に添うイラストを描けば合格できる学校。
そうして卒業式直前に何とか私の行き先は決まった。

 

何とか実家から脱出できる歓喜より見知らぬ土地へ働きながら学校に通うというハードモードを想像した恐怖が勝る感覚を携え、高校を卒業した。

 

こうして私の大学受験は終わった。

 

ただ、これは「現役」での話。その5年後改めて「大学」を目指しなおすのだが、それはまた別の話。