不満をぼやくなとは言わないが…

オリンピックが特段の問題もなく終わった瞬間から、そう思わずにいられない。

 


開閉会式に対する不満が席巻していて、「幻の~」に固執している人が随分いるものなんだなと、唖然としながら辟易している。

 

私は今回のオリンピックを開閉会式を含め、特に肯定も否定もしない。

 

始まる前までは、「とっとと過ぎ去ってほしい」という思いが本当の所だった。
始まってからは、「何も起こらなければよいが…」と懸念の気持ちが拭えなかった。
だから、特に試合の経緯を追うわけでもなく、ニュースでそれとなく結果を追うくらいしかしていない。

 

ただ、選手たちの試合後のインタビューを見ると、彼らにとってはやっぱりやってよかったのかもしれないなと思う。

 

そして、終わりを迎えた昨日には「ほっとした」という気持ちが強かった。

 


とにかく今回のオリンピックは準備の段階から色々とミソが付いていて、そのとどめがコロナ禍で前代未聞の状況になり、
何もかもがひっくり返って、実際始まる頃には「闇マシマシの闇鍋状態」だったことは事実だと思う。
そのマシマシ「闇鍋」をとりあえず「料理の形」として出すことができただけまだよかったのではないか。
(開閉会式に関しては、ガチャガチャギラギラしていなくて逆に良かったと思っている。むしろ、もっとシンプルでもよかったのではないかとすら思っている)

 


とにかく今回は「前提条件」がまるで違うのだ。
「何もなかったこれまで」の状況ではない。「コロナ禍」なのだ。
それなのに何がそんなに不満なのか。

 


思い描いたようなコロナ収束にはならず、何もかもが制限され 、やり過ごすことについても限界がきている。
その上、東京は感染大爆発で再び「今」という状況をさらに抑え込まれるという、それ以外にも渦巻くであろうありとあらゆる鬱屈したモノが、この「オリンピック」への不満としてぶつけられてしまったのかなあと何となく思っている。

 
しかし、オリンピックに不満をぶつけたところでもう終わってしまったことだ。
大きな問題を起こさず終わることができたことを「良し」として、8月22日から始まるパラリンピックに繋ぐことが大事なのではないか。

 


このオリンピックで悪い所が相当明るみになり、それは悪いことではなかったと思う。
ただ、過ぎ去った今では「そうするしかなかった」し「何とかなった…」としか言えないのではないか。

 

 

私はそう思っている。