美味しいごはんはどこで学ぶのか

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ある漫画が話題だ。

奥さんの作るご飯が美味しくないので離婚したい

という内容。
ざっくり要点をまとめるとするなら、

食に対する思い入れが強い旦那さんと食そのものを粗雑に扱うことしか知らない奥さんと家庭の話。

 

こう書くとどっちもどっちな様な印象に受け取られかねないが、「妻としての立場」で考えると、この話に出てくる旦那さんも奥さんも家族も不憫だということ。

旦那さんの方は、日頃ささやかながら工夫を凝らした料理を振る舞う親御さんの下で、適宜外食も楽しむという家庭で育つ。
かたや奥さんの方はというと、レンジでチンしたお肉に焼肉のたれをかけたものを「料理」とされ、「腹の中に入れば一緒」と迷いもなく言ってしまう挙句、外食を完全に切り離すような家庭で育つ。

真逆も真逆。

そりゃ旦那さんが奥さんに隠れてこっそり外食をして帰宅するようなことになっても仕方がないと思わざるを得ない。
奥さんの方も「料理」や「外食」という概念が抜け落ちたまま大人になってしまったことで、旦那さんの取る行動が理解できない。

 

この話はまだ完結していないのだが、「家庭」という土壌がどのように価値観を作り醸成していくのかということをとても分かりやすく可視化しているところはすごいと思う。だからこそネット上をざわつかせ、私もその流れに乗っかってしまっている。

 

乗っかってしまったのは、私自身も思う所があるからで、どうしても母親のことを思い出すのだ。
先日のブログで散々「親ガチャだ」と散々語っておきながらなんだが、この漫画を読むと食に関しては母親に感謝しないわけにはいかない。

 

母親自身は今も昔も「料理は上手じゃない」と言う。それは「貧しい中で育ってきたから」「食材の味など知らないから」「ありきたりの物しか作れないから」だそうだ。
母親の幼少時代は家庭が貧しいせいで、おいしいものにありつけるチャンスがまるでなかったという。そういう経験からか、成人してからは食に対する執着というと言葉が悪いが、とにかく意識は高かったようだ。

父親と結婚し、私たちが生まれて以降、貧しいながらも美味しいもの、旬のもの、珍しいものを極少量ではあるが食べさせてもらう機会はあったように思う。
隣町のスーパーに勤務していたこともあり、社割の利用や廃棄寸前の良い肉を格安で購入してくることは多々あった。

そうした食材を元に私自身、食事の支度を手伝うことはそんなに頻繁ではなかったが、子供の頃からやっていたことを思い出す。
そういうことを経ているからこそ、子ども時代の食の経験の仕方次第で、その後の食に対する意識が大きく変化するものだと思っている。

 

それを踏まえて、もう一つ言及しておきたいのが、「食の意識は受け継がれるのではないか」ということだ。

ここで言及することとは少しニュアンスが違うかもしれないが、よく言われる「おふくろの味」というのがそれにあたるのではないだろうか。

母親の幼少時代が貧しかったことは先に挙げた通りだが、母親の母親、私の祖母は祖父と共に母親が生まれる前まで飲食店を営んでいた経験があるという。そのこともあり、大した食材を手に入れられなくても、美味しく食べられるような工夫に心を砕いていたという話を聞いた覚えがある。母親が貧しいながらも「美味しくない」と思うようなものを作ってこなかったのは、この原体験が基になっているからではないかと思っている。
その原体験が母親を支えたことで、私の味覚や食に対する意識を育んでもらえたものだと思わざるを得ない。


この漫画に出てくる奥さんはその点でいうと、大変不憫に見える。
食に頓着のない母親の元で、食の意識を育てる余裕のないまま大人になってしまったのだから。学校給食や調理実習で学ぶ食は、家庭で経験できることに比べるとほんの一部でしかない。
それほど家庭での食の在り方というのは本当に重要なのだと思う。


とはいえ、今のこの世の中、食事の支度をするのも大変だという側面ももちろんある。
今の私は専業主婦だから、「自分の役目として」食事の支度はするものだと思っているが、これがパートなり、アルバイトなり外に働きに出ていたとするなら、きっとこうはいかない。スーパーでお惣菜は買うと思うし、レトルトで済ませるかもしれないし、コンビニでお弁当だけ買って帰るかもしれないだろう。
何なら、今置かれている立場でも体調が思わしくない時は旦那さんにお弁当で済ませてもらうようにお願いするときだってある。

完璧になどできないのだ。

 

それなのに、漫画に出てくる奥さんは倹約が高じるばかりにそういった手段にも手を出せないでいる。
そういう行動を取らせてしまうのは、総じて子ども時代の食環境ということが影響しているとしか思えない。

この漫画の筋からする「食事」に関して言えば、奥さんの母親は毒親といっても過言ではないと思っている。奥さんが嫁いだ後、こんなことになっていることに彼女の母親は考えも及ばないだろう。

 

ただ、その後のこの漫画の展開として、親友に諭された奥さんは改めて食について考え直し、旦那さんもそれを受け入れるという風になりそうで、少しほっとしている。

 


「食事をする」

ただそれだけのごくごく当たり前のことについて価値観を違え、落としどころが付かないと致命的になるのだということを垣間見せてくれた。

毎日の食事の在り方次第でその後の人生をここまで左右するものだと。そして「美味しいご飯」の基となるのは、幼少期からの食事経験を切り離すことはできないということを。

 

私はこの漫画を読んで、そのことを実感せざるを得ない。