点数のつけられない日々〜にっき

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今更だが、実は新年になって「日記」を書き始めた。
一日1ページ。今のところ、欠かさずに書き続けることができている。

とはいえ、その日書き忘れることもあるので、正確には書き続けているとは言えないのかもしれない。
それでも前日の書き忘れは、とりあえず翌日には書き記すようにしている。
なので、「ページを白紙にしない」という点では、続いているといってもいいかもしれない。


書いている日記にはルールを設けた。
「その日やったこと、起きたこと等の事実のみを書く」
感情を乗せてもよかったのかもしれないが、それだときっと1ページでは足りない。
だから、事実のみを記すために書くと決めて書いている。


これまで、プライベートな日記はそれとなく書いてはいたものの、「続けて書く」という行為はプライベートのものでも、提出するものでも、続いたことはなかった。


小学生時代の夏休みの絵日記はため込んで、最後の週になって慌てて書くみたいなことばかりしていたズボラな子供だった。
それとなく続いていたのは、恐らく高校時代以来かもしれないが、高校時代の日記は「一言日記」みたいなものだったから、正確には日記といえないかもしれない。


高校卒業以降も日記を書いていたことはあったが、「毎日欠かさず書く」というニュアンスではなかった。
とても辛いことがあったら、その都度「乱暴に気持ちを吐き出すノート」としての存在でしかなく、日記というより「お気持ち整理ノート」という位置付けが正しいと思われる。
そうなると、続けて日記らしい「日記」を書くことなんて、これまでなかったのかもしれない。


今になってなぜ続けられているかと考えてみると、とりあえず、ちゃんとした「日記帳」を準備したことなんだろうなと思っている。

「日記帳」は、ついついよくある大学ノートで済ませがちだが、それだと仮に書き続けなくても別のノートとして流用ができてしまう。
それなりにお値段がするものを準備したので、続けざるを得ないという気分になるのは必然のこと。


ちゃんとした日記帳を準備するなんてことは、それこそ小学生以来ではなかろうか。


まあ、何より、続いているのは、時間にも精神的にも余裕のある生活がこれまでより遥かにできているからという点に尽きると思う。

…とかなんとか色々書き綴ってみたものの、日記が続いているというのは、今の生活をさせてくれている旦那さんのお陰が大きい。


何が言いたいかというと、「旦那さんに圧倒的感謝しかない」というノロケに近いものが「とどのつまり」というわけである。