たかが10年されど10年

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はてなブログ10周年特別お題「10年で変わったこと・変わらなかったこと


前のブログ記事に言及した通り、「このお題で書く」と決め、色々思い出しながら書いてみたところ、想像以上のボリュームになってしまったため、その内容は再編集して、改めて記事化する。

そして仕切り直すつもりでこのブログのお題に向き合い、この10年で「変わったこと」「変わらなかったこと」を考える。

 

まず「変わったこと」
住む場所が変わって職場が変わって結婚して名前が変わったこと
外で働くことをやめて家事を生業にさせてもらったこと
旦那さんのおかげで生活が逼迫しなくなったこと
想像以上に穏やかに生活できていること

 

「結婚して地獄」なんて言う人も世の中にはいるが、私には結婚したことが相当にプラスな変化となった。


今ある生活に辿り着くまで、この10年の間に
‘実家のある辺境田舎から旦那さんの住む県庁所在地に引っ越して’
‘一旦一人暮らしを始めて’
‘仕事もコロコロ変わった’
…というより変わらざるを得なかったという方が正しいかもしれない。

 

旦那さんが住んでいる場所とはいえ、私にとっては知らない土地には変わりない。
土地勘のない中で同棲生活から始めたわけでもなく、一人暮らしで生活を始めたことは私自身の「HSPという特性」を知ることになり得た。
そして「その特性」から発生する組織で働くことのへ歪みについて、旦那さんととても、とてもよく話し合った。夜のファミレスで。

 

「とにかく私が組織で働くことには向かない」という結論は、組織で働き人事にも通じている旦那さんによって導かれたようなものだった。
それまでは結婚しても外で働くつもり満々だった。しかし、新しい土地での勤務は、余りにも私のダメさが露呈することばかりが多発し、自分自身を見失う程だった。その様子を見かねた旦那さんが「結婚後は外で働くことはやめて、家事に専念する方がいい」と提案してくれたのだ。ありがたい。本当に理解のある人で感謝している。

 

そんなわけで、結婚し姓が変わり、専業主婦として生活する様になった。
今は旦那さんがより良く仕事ができるように「生活を整えること」が生業になっている。
よって、一人暮らしでいつも逼迫生活をしていた私は旦那さんとの二人暮らしによって経済的にも精神的にも安定した生活を享受できるようになった。
既出のブログ記事にも書いているが、本当に私の恩人である。毎日のように感謝している、というか「せずにいられない」というところか。
ここに辿り着くまでが順当にいかなかったので尚更そう思う。(順当にいかなかったことを丁寧に書くと相当に長くなるので別の機会にでも)

 

こうした「変わったこと」に対して

「変わらないこと」
実家家族
それに対する私の思考
自分自身の存在価値への迷い

 

どうしても実家絡みが頭をもたげる。

私の人生の大半を実家家族と過ごしてしまっているので、それに伴う感情はそう簡単に変えられるものでもないのだろうと思っている。
なんなら今後も変わることはないかもしれないとすら思うこともある。

 

結婚した当初は相当に実家家族の発言で振り回されて行き詰まることが多かったが、実家から籍そのものが抜けたことで、時間が経つ毎に薄まってきていることは確かだ。
ただ連絡を取らないわけにはいかないので、連絡を取ると薄まっていてもまた濃さが戻る。それの繰り返し。
「良く洗って干しても、また掃除に使って真っ黒になる雑巾」のようなものなのかもしれない。

 

実父絡みでもう暫くは、それなりに実家方面と関わりを持たなければならない。それは半分義務みたいなものだと割り切って対応することにしている。
旦那さんの籍に入っているので、そこまで自分の実家を立てる必要はないとは思わなくもないが、それにはまた色々あってそういうわけにはいかないのだ。これも話が大変に長くなるのでここではこれ以上触れないでおく。

 

そうしたことがありつつも穏やかに生活をさせて貰っている。それでも、時として自分自身の存在否定が頭をもたげる。これも実家家族からもたらされた弊害だろうが、宥め賺して上手く付き合っていくしかないと思っている。
実家家族も存在否定も半分諦めの境地といった感じだ。

 

「変わったこと」「変わらないこと」を綴ってみたが、総じてプラマイゼロに少しプラスされた位なのかもしれない。
この先どうなるかなどわからないが、もう「マイナスに振れるのだけはまっぴらごめん」ということだけは確かだ。
身の丈に合った人生をゆっくり歩んでいけたらそれでいい。

 

これが10年を振り返ってみて考えたこと。

たかが10年、されど10年。

 

HSPでアラフォーの主婦が10の質問に答えてみる

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これまで設定される「お題」は敢えて避けてきたが、書きたい内容はあれど「書き著す」という作業が正直煮詰まりつつあるので、違うアプローチで書いてみる必要性があると感じていた。

そんな訳でお題に乗じて、参加してみることにする。

 

はてなブログ10周年特別お題「はてなブロガーに10の質問

ブログ名もしくはハンドルネームの由来は?

ブログ名は開設した当時図書館で借りて読んだ「家族連鎖のセラピー(百武正嗣著)」にある

今、ここを生きる

という本の一節が由来。

TV番組で流れていたゲシュタルト療法という言葉からこの本の存在を知り、読んでとても感銘を受けたことによるところが大きい。(感銘を受けすぎて、絶版本にも拘わらず探し当て購入したほど)

そのままこの一節を使うのは憚られたので、少しひねりを加えたいと思い、語感の響きが良い外国語を翻訳機能を使って当たっていたところ、スワヒリ語にたどり着き、より語感の良さを求めて「はぱささ」とした。スワヒリ語で「今ここ」は正確には「Sasa hapa」だが、「今ここにいます」を翻訳すると「nipo hapa sasa」となることから、語感重視で「nipo」を除く形で採用した。)

なお、このブログでハンドルネームは敢えて設定はしていない。便宜上「かんりにん」としている。この形を取っているのは、「何物でもない自分」としてフラットな気持ちで書き著したいと思ったから。

はてなブログを始めたきっかけは?

私自身がHSPであるということはブログを始める数年前から気が付いていたが、ブログ開設当時は今ほど「HSP」という存在が浸透していなかったことから、当事者目線の経験や思う所を綴ってみれば、誰かのお役に立てるかもしれないと思ったのが一番のきっかけ。

また、結婚して間もなく慣れない2人暮らし以上に「見えない実家家族」に自分自身が振り回されており、実生活が心からの安寧が満たされていなかった。それをうまく消化することができれば、という気持ちもあった。(ついでに収益化も目指せればという、はるか遠い希望もあったが、今いずこ……(苦笑)。)

以下も参考程度にご覧いただければ…。

「ざっくりすぎるくらいざっくりな案内」という名の自己紹介 - はぱささ ~今、ここ~

自分で書いたお気に入りの1記事はある?あるならどんな記事?

更新頻度が頻繁ではない分、かなり練りこんで記事作成を行っているので、ひとつに絞るのは難しい。その中で挙げるとするなら「わたし話~DOKU-HAKU~」カテゴリーにある成人式の話だろう。

hapasasa.hatenablog.jp

hapasasa.hatenablog.jp

実はこの記事、その前の年に公開予定だったが、タイミングが合わず、その年は泣く泣く先送りをし、翌年に満を持して公開したというという記事。これを機会に一読してもらえるとむせび泣くほど嬉しいし、当時の私が浮かばれる。それくらいの渾身作。

ブログを書きたくなるのはどんなとき?

事象に対して、一言物申したくなる時。

事柄として印象に残った時。

思い出して書かずにいられない衝動に駆られた時。

下書きに保存された記事は何記事? あるならどんなテーマの記事?

下書き保存は42記事。

今年に入って記事を整理したことで、昨年まで公開していた記事を下書きに戻した分もあるので、そのため。

そのうち書くつもりでタイトルだけで残していたり、途中まで書きかけている記事もあったり中途半端な記事もかなりある。ここに下書きとして残している以外でも、Evernoteにも書きかけで寝かせたままの記事があるので、実質の下書き記事数は結構な数になっていると思う。途中書きかけのものは完成させ、タイミング次第で公開できれば良いなと思っている。

自分の記事を読み返すことはある?

カテゴリー「わたし話」「わたし話~DOKU-HAKU~」内の記事は記憶のすり合わせの意味で読み返すことが多い。

「はぱささオピニオン」は発言の齟齬がないか不安になって読み返すことがある。

読み返すことでもっと適切な表現を当て、修正することもたまにある。

好きなはてなブロガーは?

最近は斗比主氏のブログを見ている。あと前には数人いたのだが、私自身の考え方の変化から見る事は余りなくなってしまった。

ブログ検索の機能があれば、他の人のブログも覗けるのにな、とは思う。(敢えてしていないのか、私が使いこなせていないのか。)

はてなブログに一言メッセージを伝えるなら?

色々なブログサービスがある中で、色々なカスタマイズや収益化可能なシステムにして下さっているのはありがたいと思う。

上記にも書いているが、他の人のブログのサイト内検索ができる機能があればありがたい。

10年前は何してた?

辺境の片田舎で非正規勤務をしていた。実家暮らし母親と二人ぐらし。婚約寸前の相手と破談したばかりでお先真っ暗ながらも必死にもがいて生きていた。

この10年を一言でまとめると?

「怒涛の後の平穏、時々台風」

結婚前の実家暮らし、実家飛び出し怒涛の結婚準備、平穏な結婚生活に落とし込む実家家族の影と騒動。

この話は別記事で公開できればと思い、鋭意制作中。

 

 

謝辞

ここまで閲覧いただきありがとうございました。

今後とも当ブログ「はぱささ~今、ここ~」をよろしくお願いいたします。

美味しいごはんはどこで学ぶのか

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ある漫画が話題だ。

奥さんの作るご飯が美味しくないので離婚したい

という内容。
ざっくり要点をまとめるとするなら、

食に対する思い入れが強い旦那さんと食そのものを粗雑に扱うことしか知らない奥さんと家庭の話。

 

こう書くとどっちもどっちな様な印象に受け取られかねないが、「妻としての立場」で考えると、この話に出てくる旦那さんも奥さんも家族も不憫だということ。

旦那さんの方は、日頃ささやかながら工夫を凝らした料理を振る舞う親御さんの下で、適宜外食も楽しむという家庭で育つ。
かたや奥さんの方はというと、レンジでチンしたお肉に焼肉のたれをかけたものを「料理」とされ、「腹の中に入れば一緒」と迷いもなく言ってしまう挙句、外食を完全に切り離すような家庭で育つ。

真逆も真逆。

そりゃ旦那さんが奥さんに隠れてこっそり外食をして帰宅するようなことになっても仕方がないと思わざるを得ない。
奥さんの方も「料理」や「外食」という概念が抜け落ちたまま大人になってしまったことで、旦那さんの取る行動が理解できない。

 

この話はまだ完結していないのだが、「家庭」という土壌がどのように価値観を作り醸成していくのかということをとても分かりやすく可視化しているところはすごいと思う。だからこそネット上をざわつかせ、私もその流れに乗っかってしまっている。

 

乗っかってしまったのは、私自身も思う所があるからで、どうしても母親のことを思い出すのだ。
先日のブログで散々「親ガチャだ」と散々語っておきながらなんだが、この漫画を読むと食に関しては母親に感謝しないわけにはいかない。

 

母親自身は今も昔も「料理は上手じゃない」と言う。それは「貧しい中で育ってきたから」「食材の味など知らないから」「ありきたりの物しか作れないから」だそうだ。
母親の幼少時代は家庭が貧しいせいで、おいしいものにありつけるチャンスがまるでなかったという。そういう経験からか、成人してからは食に対する執着というと言葉が悪いが、とにかく意識は高かったようだ。

父親と結婚し、私たちが生まれて以降、貧しいながらも美味しいもの、旬のもの、珍しいものを極少量ではあるが食べさせてもらう機会はあったように思う。
隣町のスーパーに勤務していたこともあり、社割の利用や廃棄寸前の良い肉を格安で購入してくることは多々あった。

そうした食材を元に私自身、食事の支度を手伝うことはそんなに頻繁ではなかったが、子供の頃からやっていたことを思い出す。
そういうことを経ているからこそ、子ども時代の食の経験の仕方次第で、その後の食に対する意識が大きく変化するものだと思っている。

 

それを踏まえて、もう一つ言及しておきたいのが、「食の意識は受け継がれるのではないか」ということだ。

ここで言及することとは少しニュアンスが違うかもしれないが、よく言われる「おふくろの味」というのがそれにあたるのではないだろうか。

母親の幼少時代が貧しかったことは先に挙げた通りだが、母親の母親、私の祖母は祖父と共に母親が生まれる前まで飲食店を営んでいた経験があるという。そのこともあり、大した食材を手に入れられなくても、美味しく食べられるような工夫に心を砕いていたという話を聞いた覚えがある。母親が貧しいながらも「美味しくない」と思うようなものを作ってこなかったのは、この原体験が基になっているからではないかと思っている。
その原体験が母親を支えたことで、私の味覚や食に対する意識を育んでもらえたものだと思わざるを得ない。


この漫画に出てくる奥さんはその点でいうと、大変不憫に見える。
食に頓着のない母親の元で、食の意識を育てる余裕のないまま大人になってしまったのだから。学校給食や調理実習で学ぶ食は、家庭で経験できることに比べるとほんの一部でしかない。
それほど家庭での食の在り方というのは本当に重要なのだと思う。


とはいえ、今のこの世の中、食事の支度をするのも大変だという側面ももちろんある。
今の私は専業主婦だから、「自分の役目として」食事の支度はするものだと思っているが、これがパートなり、アルバイトなり外に働きに出ていたとするなら、きっとこうはいかない。スーパーでお惣菜は買うと思うし、レトルトで済ませるかもしれないし、コンビニでお弁当だけ買って帰るかもしれないだろう。
何なら、今置かれている立場でも体調が思わしくない時は旦那さんにお弁当で済ませてもらうようにお願いするときだってある。

完璧になどできないのだ。

 

それなのに、漫画に出てくる奥さんは倹約が高じるばかりにそういった手段にも手を出せないでいる。
そういう行動を取らせてしまうのは、総じて子ども時代の食環境ということが影響しているとしか思えない。

この漫画の筋からする「食事」に関して言えば、奥さんの母親は毒親といっても過言ではないと思っている。奥さんが嫁いだ後、こんなことになっていることに彼女の母親は考えも及ばないだろう。

 

ただ、その後のこの漫画の展開として、親友に諭された奥さんは改めて食について考え直し、旦那さんもそれを受け入れるという風になりそうで、少しほっとしている。

 


「食事をする」

ただそれだけのごくごく当たり前のことについて価値観を違え、落としどころが付かないと致命的になるのだということを垣間見せてくれた。

毎日の食事の在り方次第でその後の人生をここまで左右するものだと。そして「美味しいご飯」の基となるのは、幼少期からの食事経験を切り離すことはできないということを。

 

私はこの漫画を読んで、そのことを実感せざるを得ない。

 

「親ガチャ」という言葉に違和感を持てる人は幸せだということに気づいていない

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「親ガチャ」

 

とてもチープで乱暴な言葉。
それがこの言葉に対して感じた私の第一印象。
ただ、それはとても核心をついていて、つきすぎているからこそ世間をざわつかせているのではないかと思った。

 

乱暴な言葉と思いつつも、私はその言葉に納得感しかない。
多分これは「毒とされる親」の元で育ったことがないと理解はできないだろうと思っている。
さらに言うと、先日つぶやいたツイートの通り、親ガチャを拡大解釈した「家族ガチャ」だろうなと勝手に思っている。

 

私の両親は既に離婚しているが、今でも健在で、一昨年は実父の件で色々と事象が発生し気を揉み、その実務に当たった。
その時に感じたのが「自分勝手に生きた成れの果てがこれか…」という感じであった。

実母は「天真爛漫」を地で行く塊のような人で、悪気もなく言葉を発し、知らない内に自分ペースに巻き込むような、そんな人だった。今は穏やかになったというか、何というか…という感じなのだが、連絡を取る度、地は変わることはないのだなあと辟易する。

一つ下の弟は、今でこそ丸くなったとは思うが、幼い頃から「ケンカ」を隠れ蓑に、いわゆる「暴力」を私は受け続けていた。それは高校卒業し、実家を離れるまで続いた。(それ以降も全くなくなったわけではないが…)
今は私の精神衛生上、不必要に連絡は取らないようにしている。

 

物凄くエッセンスを詰め込み、端的に、かつ言葉を選ばずに自分の家族を著すとするならこんな感じだろう。

 


弟から受ける「暴力」は肉体的に傷を負うものも、言葉によるものもあり、惨憺たるものだったが、両親は露骨に暴力を振るうとかネグレストをされたとか、特にそういうわけではない。
しかし、弟からの「暴力」を「ケンカ」とみなし、どうにもできなかったため、放置されてしまったことは随分昔の話なのだが、今でもなお、暴力風景と共に鮮明に思い出す。

両親・弟ともに良くも悪くも「奔放」な気質を持っていて、それに私が合わなかった。
ただそれだけのことだ。
それだけのことなのに、私は「私の持った気質」のせいで疲弊し、打ちのめされ、振り回された。

 


中学三年の進学検討時には「進学なんてしないで働け」みたいなことを平気で宣う父親。
高校時代に進路選定時には、進学希望の私に「進学してどうするの?私にはわからん。そんなに勉強しないといけないの?」と今度は母親が宣う程、「進学」に対して無頓着な家庭であった。
そして何より家庭自体が貧しかった。
(弟については、特に何か言われた覚えはないが、彼の進路については進学することを私が強く勧め、奨学金で進学をした。後日談で弟本人から聞いたが、私が勧めなかったら就職をしていたらしい。)

 

この人たちに話しても無駄だし、自分がやりたいことをやろうとするならば、何がなくても自分でどうにかするしかない。そう思った私は、絶対に親が負担にならない進学方法を模索して「新聞奨学生」として進学をすることになる。
「貧しさと暴力と無頓着、そして不適合」の「家族ガチャ」から離脱することに(一旦)成功したのだ。

 

そんな感じで幼少期~思春期まで過ごしたこともあり、「親(家族)をガチャになぞらえること」に違和感は感じない。冒頭に記した通り、むしろ納得感しかない。

 

 

 

だから、私は「親ガチャ」について、このツイートをした。
ツイートについて少なからず反応頂けて、とてもありがたい気持ちになった。

 

ただ、「親ガチャ」という言葉の広がりにともに違和感を覚える人や忌避感や疑問、批判的な印象を持つ人も随分いるのだなという印象を受けた。正直驚いた。
人によって幸せの感じ方は違うし、恵まれたことばかりではないということを想像することはできるが、私にしてみればうらやましい限りの幸せな人々だなあと思う。
そしてこの感覚をこういうような類似経験をしたことがない人々には決して分かることはないと思っている。
そもそものスタートから違うので、「そうなんだ…」と思ってもらえることが関の山で、わかりあえることは決してないと思っている。

そう思っていても、そのように思われていると思うと苦々しく、その末に至極やるせない気持ちになる。

 

断言する。
私は「親(家族)ガチャ」が辛くて、どうにかしたくて努力した側の人間だ。

 

「親ガチャ」を嘆く人間が、全く努力をしないとでも思っているのだろうか。
それとも「親ガチャ」という言葉を引き合いに自分自身に起こる不幸を他になすりつけるように見えるのだろうか。

 


某TV番組でも取り上げられ、そこで若年者の意見が放送されていたが、それを聞いてみると、もっとカジュアルに使われているような印象を受けた。
「チープで乱暴」な「一過性の流行り言葉」とするならば、少し下品かなとは思うが、今の時代には悲しいかな、とてもキャッチーに聞こえてしまう。
カジュアルな会話上でネタ的扱いでその言葉が出てくるのならば、それはそれでその言葉を使える彼らは幸せなんだなあと思ってしまう。

 

ただ、そうではなく、実際深刻なのかもしれないとこの記事を読むと思う所もあるが、

gendai.ismedia.jp


世間の全ては私のように深刻にとらえているわけではないと思っている。

 


『深刻にならず、言葉に対して憤りや違和感を持てる人は至極全うで幸せであるということを自覚してほしい』

 

と、最後の最後に書いてしまうのは、私のわがままなのだろうか。
それ以上に努力をしてもなお、私が「家族ガチャ」から離れられずにいるのは、どこかで「そればかりでは無かった」という思いがあるからなのだろうか。

 

 


そんな何とも言い難いやるせなさを覚えながらも、たまたまお見かけしたブログに救われた気分になった。
このブログを紹介してこの話は一旦終わりにしようと思う。

topisyu.hatenablog.com

点数のつけられない日々~けんしん

先日受診した年一回の健診で豪快にやらかしてしまった。


何かというと、胃部レントゲン…とまで言うと35歳以上の方なら察して頂ける方も多いと思うが、バリウム飲用時にやってしまった。
ただ、正確にはバリウムは飲んでいない。飲む前にやらかしてしまっているのだ。

 

あの魔物で…。

 


そもそも配偶者枠で受けるこの健診。
毎年決まった場所で行われているのだが、今年からはやむなき事情により健診会場が変わってしまった。

その時点でHSP気質を持つ私には、無意識下で負担だったのかもしれない。
会場になる場所の下調べと確認のため、事前に立ち寄った程だ。
それくらい「慣れない場所」に対して不安を持つことが多い。

それに加えて、この健診の数日前からよく眠れていなかった。
健診前日の晩も日付変わる前から床に就いたのにも拘らず、2:00過ぎまで寝られないまま、その後も眠りが浅いせいで何度も目が覚める始末。そんな中で今日の健診を迎えたのだ。

 


事前に確認していた会場へは、偶々休日だった旦那さんに送ってもらい到着。受付を済ませ、健診自体は順当に進んでいた。
会場が変わり、広くなったことで移動が少し大変だったが、コロナ禍もあり、人との距離が大いにとれるという点では正直なところホッとしていた。


基本健診や婦人科系の診断を終え、残すは胃部レントゲン。
これが終われば、昨日夕方からの絶食から解放される、ハンバーガーが私を待っている!と言い聞かせて検診車に乗り込んだ。
(「ハンバーガーが待っている」というのは健診前はかなり食事には気を遣っていたので、ジャンクフード系は控えていたため)

検査着に着替え、バリウム飲用の時がやってきた。
健診会場や施設によっては、事前にバリウムに発泡剤を混ぜて飲用するところもあるようだが、この配偶者枠の健診ではバリウムと発泡剤は別々に飲むように例年準備されている。今年も例年通り、指示に従い発泡剤を口に含んだ。

そう、ここでやらかしてしまった。


「のどの奥に含んでください」という指示で含んだものの、多分喉の奥に含むことで発泡剤の粉が気管の入り口にかかってしまったのだろう。余りに喉の奥に含み過ぎたせいで、豪快にむせてしまったのだ。

 

これまで何度となくバリウム検査は受けているが、こんなことはなかった。
順当に飲用し、"緩いトルネードスピンの如く"ぐるぐる可動する胃部レントゲンに毎年打ち勝って(?)きたのだ。今回もそのつもりだった。

しかし、発泡剤が口の中で豪快に膨らむことに軽く混乱して「むせる」を通り越し、目から口から体液大放出!豪快に嘔吐するハメになってしまった。
変な冷や汗をかきだして、涙も絶え間なくボロボロ流しながら、前日夜から絶食で胃の中は空っぽなのに、絞りだすかのように吐いてむせて、また吐いた。


「大丈夫ですか?」
検診車の奥から放射線技師の方であろう方から声をかけられる。
「今日できそうですか?飲めそうですかね?」
私は嘔吐しても俄然バリウムを飲んで、胃部レントゲンに挑むつもりだったため、「頑張ればイケます」なんてことを口走っていた。
(この話をしたら「なんでそんなに負けず嫌いなの?」と旦那さんに笑われた。)
ただ、目から口から額から、ありとあらゆる水分を放出している私の様子を見て、
「今日はやめといた方がいいですよ。気管にバリウム入ったら、そっちの方が危険なので」
と言われ、レントゲン撮影後に渡されるはずのペットボトルの水のキャップを開け、差し出された。

《参考》
バリウム検査での誤嚥に対する処置は?【速やかに咳をしてもらい,バリウムを喀出させる】
放置していても自然に喀出されると言われていましたが,高濃度低粘性バリウム誤嚥により気管支末梢まで達することが多く,稀にですが肺炎を併発するなど,無視できない偶発症です

胃バリウム検査での誤嚥に対する処置は?【速やかに咳をしてもらい,バリウムを喀出させる】|Web医事新報|日本医事新報社

 

「一旦口をゆすいでゴミ箱に吐いてもらって、ゆっくり水を飲んで、咳込みが治まるまで座ってもらってていいですよ」
そのように勧められる。

万一のことを考え、私は今回の胃部レントゲンに挑むのは諦め、むせるのと咳込みが落ち着くまで検診車の席に座らせてもらうことにした。

 


涙と冷や汗と、何より咳込みが止まらず想像以上に難儀した。
私より後に並んでいた人たちがどんどん健診を終えていく。
最後の健診の人がレントゲン室に入るまで座っていた…というか、余りに喉が痛く、咳込みがなかなか止まらなかったので、やむなしという感じだった。
(今のご時世、少しの咳払いでも怪訝な雰囲気になってしまうため)

ようやく咳込みが落ち着き始め、検査着を着替える。冷や汗でそこそこ湿るほどで、脱いだ検査着を係の人に渡すのも憚れるほどだった。


嘔吐はなぜこんなに疲れるのだろう。喉も頭も痛い。もうフラフラである。
とりあえず、受付に診断票を届けに行く。嘔吐後なので辿り着くのに難儀した。
胃レントゲンだけできなかった理由を説明するのも、喉が痛く難儀した。

 

最後の最後になんでこうなるのか…と思いつつ、とりあえず健康診断が終わった旨を旦那さんに知らせ、迎えに来てもらう。

そんな感じで今年の健康診断は「豪快なリバース」と「体液大放出」で終わった。

 

…来年は胃カメラ、か?

それより、前日はちゃんと寝ていないとダメなのかもしれないと思っている。
そして来年は健診場所の変更のないことも祈りながら…。

 

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本来はこのままハンバーガーを食べて帰る予定だったが、とにかく自宅に帰ってゆっくりしたいので、テイクアウトしてもらうことにした。
自宅に着くころには少しはマシになっていたので、空腹を満たし、喉の痛みを払拭すべく、ハンバーガーを食らい、アイスコーヒーを流し込んだのだった。

 

【ネタバレ注意】「サマーフィルムにのって」が本当に伝えたいことを考える

「青春映画」というカテゴリにそんなに思い入れがなく、主演も元乃木坂メンバーということもあり、シネコンでよく見るタイプの映画だと思っていた。

見るまでは。

 


以下から壮大なネタバレが続きますので、反転しないと読めないようにしています。

ネタバレしてかまわないという方だけ、反転表示でご覧ください。

 

 

 


「青春映画」という衣を着た、実は「未来の映画世界に対する危機感」を遺憾なく詰め込んだ意欲作。

 

「未来では映画はない。動画は5秒以内。」

 

劇中、主人公ハダシが作る映画の主人公として抜擢された倫太郎に告げられる。
(倫太郎は未来から来たタイムトラベラーという設定)
ハダシはこの未来の事実に打ちのめされるが、見ていた私もまた衝撃を受けた。

 

それまで「まあ、良くありそうな青春ものだろう」と高を括って見ていたが、その意識を見事にひっくり返された。
未来に残らない映画をどう撮るか。ストーリーを追うより、その裏テーマ的な要素を探り取ろうと思って最後まで追って見たというのが本当のところだ。

 


過去の映画は4時間・3時間は当たり前だった。
しかし、今は2時間でも長いと思う人も多いだろう。
ここ最近話題になった「ファスト映画」はその最たるものだと思っている。

 

 

若い人には20分程度の動画でも長く感じ、10分以内の動画か1分程度でサクッと見ることのできる動画が人気だと聞く。

その傾向はYouTubeからTikTokという動画カテゴリの変化でも感じ取れるところだ。

 

私はこの映画の中で言及された『「5秒以内の動画」がスタンダードになった未来の話』がまさかの話ではなく、あながちそうなってしまうのではないかという危機感を覚えたのだ。

 

スマホの影響?映画に集中できない人続出「スマホOK映画館」待望論も|NEWSポストセブン


偶然にも、こうした記事を見つけた。
この記事は映画館マナーの話ではあるが、この映画が扱ったテーマにとても近しいものを感じる。

 


そういう私も映画を見慣れていない頃は「2時間も座って見てられるか」と思っていたクチだ。
ただ、ちゃんと映画の本数をこなすうちに、この2時間で自分自身が知りえない「貴重な追体験」ができる時間なのだと気が付いてからは、映画の時間の長さとやらは気にならなくなり、「映画館」という空間で味わう没入感に浸るほどになっていた。

 

そう、その追体験こそが、ハダシが語る「映画は過去と未来を繋ぐ」ということではないのか。
そうでないと、過去の名作が「名作」として語り継がれることなどないからだ。
彼女が映画内で熱く語るそのシーンは嘘ではなく、この映画が一番伝えたいことだと思っている。

 

映画本編自体は、未来の映画の在り方に打ちのめされつつも、悩みもがきながら映画を完成させて…という、割と丸く収まるキレの良い終わり方だったと思う。

ブコメがすべてだと思っていても、時代劇以外はつまらないと思っていても、「映画」そのものに掛ける「思い」は何物にも代え難く、素晴らしいものであるということを遺憾なく詰め込まれている。

 


とても、とても熱い映画に対する気持ちがこもった一石を投じる作品。
一見の価値は有り余るほど。映画を愛する人はきっと刺さると思う。

不満をぼやくなとは言わないが…

オリンピックが特段の問題もなく終わった瞬間から、そう思わずにいられない。

 


開閉会式に対する不満が席巻していて、「幻の~」に固執している人が随分いるものなんだなと、唖然としながら辟易している。

 

私は今回のオリンピックを開閉会式を含め、特に肯定も否定もしない。

 

始まる前までは、「とっとと過ぎ去ってほしい」という思いが本当の所だった。
始まってからは、「何も起こらなければよいが…」と懸念の気持ちが拭えなかった。
だから、特に試合の経緯を追うわけでもなく、ニュースでそれとなく結果を追うくらいしかしていない。

 

ただ、選手たちの試合後のインタビューを見ると、彼らにとってはやっぱりやってよかったのかもしれないなと思う。

 

そして、終わりを迎えた昨日には「ほっとした」という気持ちが強かった。

 


とにかく今回のオリンピックは準備の段階から色々とミソが付いていて、そのとどめがコロナ禍で前代未聞の状況になり、
何もかもがひっくり返って、実際始まる頃には「闇マシマシの闇鍋状態」だったことは事実だと思う。
そのマシマシ「闇鍋」をとりあえず「料理の形」として出すことができただけまだよかったのではないか。
(開閉会式に関しては、ガチャガチャギラギラしていなくて逆に良かったと思っている。むしろ、もっとシンプルでもよかったのではないかとすら思っている)

 


とにかく今回は「前提条件」がまるで違うのだ。
「何もなかったこれまで」の状況ではない。「コロナ禍」なのだ。
それなのに何がそんなに不満なのか。

 


思い描いたようなコロナ収束にはならず、何もかもが制限され 、やり過ごすことについても限界がきている。
その上、東京は感染大爆発で再び「今」という状況をさらに抑え込まれるという、それ以外にも渦巻くであろうありとあらゆる鬱屈したモノが、この「オリンピック」への不満としてぶつけられてしまったのかなあと何となく思っている。

 
しかし、オリンピックに不満をぶつけたところでもう終わってしまったことだ。
大きな問題を起こさず終わることができたことを「良し」として、8月22日から始まるパラリンピックに繋ぐことが大事なのではないか。

 


このオリンピックで悪い所が相当明るみになり、それは悪いことではなかったと思う。
ただ、過ぎ去った今では「そうするしかなかった」し「何とかなった…」としか言えないのではないか。

 

 

私はそう思っている。