生きづらさの正体は

 

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前にこんなブログを挙げた。

hapasasa.hatenablog.jp

ここで、「気づき」が一体何なのかということには敢えて触れることはなかった。
しかし、今後このブログで「今ここ」で生きていくために必要な「私自身の過去の振り返り」ついて書いていこうと考えた時に、このことと「実家家族」に触れないまま書き続けることは不可能であるように思っている。

 

よって、今回この「気づき」とやらが何のことだったのかを書いてみる。

 

「気づき」とは「ASD」、いわゆる「発達障害」のことである。
ASD」という言葉をご存じでないならば「アスペルガー症候群」といえばピンとくる方が多いだろう。

 

私の旦那さんはASDグレーソーンの疑いがあり、実家家族は私以外全員がその疑いがあることが(私の中で)わかったのだ。
「疑い」と評しているのは、医師ないしそれに準じる正確な診断をしていない、というかするにできない状態だからである。
きちんとした診断が下されていないのに、素人判断でそのように評するのはいかがなものかという声がそこはかとなく聞こえてきそうである。
しかし、この数か月で関連書籍を読み漁った結果、「これまで家族として暮らした実感として」余りにも該当するところが多かったのだ。

 

旦那さんに関しては、然るべき医療機関で診断を受けるべく2021年末に申し込みを兼ねた問合せをするも、診断数に制限が設けられているようで数か月待ちという実態を知り、正確な診断を諦めてしまった。
それ以上に「グレーゾーンかもしれない」と気が付いた、その事実で旦那さんが満足しているため、妻である私がこれ以上強要することはできない。
よって、更に関連書籍を手当たり次第読むことで我々夫婦の実態に即すにはどうしたらよいかを探ることにした。

 

私達夫婦は元々の価値観が似ていることもあり、普段からしっかり話合い、認識の擦り合わせをことさら大事にしてきてはいるので、必要以上に何かしなければならないわけではなさそうだった。
そんな中、旦那さんにおいて、大変参考になったのは「空気が読めなくても それでいい」という本。

www.sogensha.co.jp

「グレーゾーン」について特化した本で、図書館で借りて読んだ結果、購入するに至るほど、私たちにとっての良本であった。
旦那さんに必要以上に変わることを期待してしまいがちになっていた私自身も反省する点があるし、旦那さん自身も謙虚な姿勢でいる必要性があることを認識しているようだった。

 

ただ、関連書籍を読み進めて感じたことは先に書いた通り「実家家族が(ほぼほぼ恐らく)該当していること」と、「私自身のケア」が不足していたのだということだ。
それはまた、実母にも言えることでもあった。
かつての実母はカサンドラ状態に陥っており、その余波を私も被っていたということである。

そう思えるのは「旦那さんはアスペルガー 奥さんはカサンドラを読んだからだ。

www.hanmoto.com


この本を読み、私の実父はこの本に出てくる旦那さんそのままの「紛れもなく(困り感のない)ASDの当事者」だと実感した。
そして追い込まれた作者である奥さんの状態はかつての私の母親であり、私自身でもあった。

 

実母は実父の不甲斐なさを私が幼少の頃からぼやいており、私はその聞き役であった。
程なくして娘に対してぼやくだけではやりきれなくなったのか、外の空気を求め、各種サークルに参加するようになり、家を空ける事が多くなった。
そうやって実母自身は病まないように自分のバランスを保とうとしたのかもしれない。
そして私は(手のかかる)弟の見守り役になった。

 

弟はこだわりが強く、自分の思うように事が運ばないと癇癪を起こして暴れ、手をつけられなくなる。そして自分の決めた「ゴール」に達しないとそれはそれで癇癪を起こして暴れるのである。
そんな幼少期の弟に対し、どうにか穏便に留守番を遂行できるかだけに気を配る幼少期の私。そうして幼いなりに精一杯気を配っても、癇癪を起し怒り狂う弟に対し無力感ばかりを見せつけられ、押し付けられるような日々であった。(後々大人になって、ようやく弟自身が自らASDかもしれないと悟るのではあるが)
当時のやり切れない気持ちは実母に訴えるわけでもなく(訴えても何かしてもらえるわけでもないため)、ただ就寝時に布団にもぐって静かに泣くことでしか消化できなかった。
(消化できていたかどうかは定かではない。とりあえずやり過ごすための唯一の方法だった。ただ、当時家族以外の第三者の大人に相談できていればどんなに良かったかとは思う。)

 

そんな実母自身は実父や弟のように露骨な特徴が感じられるわけではないが、とにかく本(もちろん日本語の活字)を読むことが物凄く苦手であった。(同じところを何度も読み返さないと理解ができず、読み切るのに時間が掛かり過ぎる。大きい文字だと少しはマシらしい。)また自分が思った事をそのまま言葉にしてしまうし、そそっかしい点が顕著であった。
そのまま言葉にしてしまう点やそそっかしい点は実母自身の人柄や周りの人々の大らかさで何とかカバーできていたようだが、今現在でも本を読むことについてはかなり抵抗があるようだ。
実際実母が話していたことだが、そもそも勉強が好きではなく、小学生時代の国語は何とかなったものの、ローマ字習得すら本当ではなかったとのこと。よって中学校も国語は何とかなったものの、英語の授業は困難の極みで苦痛でしかなかったということだった。
このことから実母はLD/ADHDグレーゾーンの傾向があるなと(私が勝手に)感じている。

 

ASD父とLD/ADHDグレゾ母にASD傾向強めの弟。そんな中で育ったHSPの私。
私自身の生きづらさの原因が今になってようやく明確になったのだ。

 

そりゃ家族に振り回される。無理もない話。
機能不全な家庭になってもしょうがない要素しかない。
第一、私の幼少期に住んでいた当時の片田舎の土地に発達障害という概念は無いに等しい。

 

腹落ち感と同時に「やっぱり私は辛くても仕方なかった」という思いと「何で仕方なかったんだろう」「何でどうにもできなかったのだろう」という思いが交錯する。頭の中でぐるぐるかき回される感じがして、暫く浮上できずもやもやしていた。

 

そんな中で旦那さんにも同じ本を読んでもらった。
「自分はここまで酷くはないな」と話す。
私もそう思う。少なくともどちらかの一方通行にはならないようにお互いに気を配っているからだ。
「この本の中身、かつての私の実家の感じそのままだ」と伝えると旦那さんは絶句していた。
「こんなの、どうもならない方が不思議じゃない?こんなのどう思う?」
と私は思わず気持ちが高ぶりけしかけてしまった。
「大変だったんだね……これは病んでもしょうがないし、掛ける言葉がない」 

 

何かが解決するわけではないが、共感が得られるだけでこんなにも違うものなのだなと実感している。旦那さんにこう言ってもらえるだけで随分救われた気持ちになる。
これも私自身のケアの一環なのかもしれない。

 

こうして、この数か月で旦那さんを巡る生きづらさについて掘り下げた事により、私の実家で発生した私自身の生きづらさの解明に繋がった。その事は、私にとってとても有益で感謝すべき出来事であった。
と同時に、実家家族で経験した生きづらさは旦那さんと暮らす上でヒントになり、生かすことができるのではないかと思っている。

 

問題は、今後私自身を自分でどのようにケアしていくかというところになるが、多分これが一番難しいのだろうなと思っている。
持ち合わせた気質上、どうしても自分を犠牲にしがちの私は、とりあえず「自分自身の許容範囲の半分」を意識して生活していくことが必要かもしれないと思いつつ生きていくしかないだろうなと思っている。
そして、このことから私自身のケアに繋げていけたら尚良いだろうなと漠然と思い描いている。