山上容疑者、母親が宗教に傾倒したため貧困生活に陥いっていたという。家庭内の問題を家庭内で解決することは難しい。しかし相談先もないし相談しても「家族でよく話しあえ」と言われ終わってしまいがち。「話が全く通じあわない家族もある」ということを恵まれた家庭に生まれ育った人には知って欲しい
— 高知東生 (@noborutakachi) 2022年7月12日
このようにツイートされたものが、先日私のところにまわってきた。
「話が全く通じ合わない家族もある」このことに同意せずにいられない。
幸い「全く」 通じないわけでもないが、いつも「通じ合わせたい時」に通じないということは多々あった。
前に書いたブログ記事のこともそうであるが、
父親と母親との会話
弟と母親との会話
……私が介さない会話でも話し合いが成立していないことが多かったのだ。
そのため(特に思春期は)、議論めいたような話し合いを家族とは必要最低限にしていたように思う。成立しない話し合いを見過ぎてしまった。
大人になり、本音をぶつけたところで、母親は泣きじゃくって話にならないし、弟は逆上し捲し精神的に追い詰め、やもすれば手が出ることもあった。
父親は、元々無口な人で、結婚した早々に訳あって出稼ぎに出ていた。それまでは盆正月には必ず帰省する人だったのだが、私が中学生頃から出稼ぎ先から実家に帰省することは殆どなくなっていた。そのため、余計に会話が成立する気配はない。
稀にある帰省時でも会話をしようものなら、自身の持論以外話そうとしないので、どうしようもなかった。
今でこそ、実家家族は「発達障がい」に絡んでいることが私自身の感覚でわかっているので、仕方ないと思える。
しかし、そのことに気が付く頃までは、腹立たしい気持ちもありつつ「うまく伝えきれない私も悪いのだ」とも思っていた。
大人になってからは、それなりに経験を積み、物の見方の幅が広がったおかげか、弟と母の揉め事の仲裁に入ることもあった。仲裁が成功することもあったが、余計話がこじれ、「母親か私のどちらかがが泣いて、うやむやに終わる」という消耗戦ばかりで、どうにもこうにもならないことの方がはるかに多かった。
今はというと、実家家族とは物理的に離れているので、話し合いの場は無いに等しい。
かたやASD傾向(グレーゾーン)のある旦那さんとは、混迷を深めてしまうことはありつつも、基本的にはしっかり話せており、話し合いとして成立できている。
お互いにちゃんと話に耳を傾けることができ、「一人の人間であること」だと認め合えているからだろう。
グレーゾーン(仮)でありながら実家家族にはない属性の旦那さんに私は随分救われている。
会話の成立がこんなに心地よいものなのか、と思う程である。(ただ、私の特牲として、消耗しがちな点は否めないが……)
宗教が絡まなくても、こんな感じになってしまう家は市井の人々が思う以上に多い。
では、逆にこんな実家家族が宗教が絡むとどうなってしまうのか。全くないわけでもないので、何かの機会で書けたらいいなと思っている。
宗教が絡まずとも、そういう実態があるということを知ってもらうだけでも、私はありがたいと思う。
それが思うように救いに繋がらなかったとしても。