夢は「わがまま」

この記事は、2020/12/04 18:50にnoteに掲載した記事をこちらに移転させました。ご覧いただけると幸いです。

 

夢は「わがまま」の残りかす。

 

今の歳になって、色々…ほんと色々起こっている中で、なんだかんだで、
思い描いた夢の形とは違うが、それなりに自分の希望を叶えてきていることに気がついてから、夢なんてもう持つことはないなと思っていた。

 

「家から離れなければ殺される」と思い、「働きながら専門学校に通う」という理由で飛び出して、色々な非正規勤務を経て経験を積んだ。地方都市ではあったけど、都会で一人で工夫して暮らした経験も辛いながらも楽しかった。
そして行きたくても行けなくて、そうやって行きそびれた大学も通信制ではあったけど、編入して卒業できた。

 

ずっと希望だった心理職にはつけなかったけど、ボランティアとして関連業務に関わる事ができた。心理職よりよっぽどこっちの方が向いているのかもしれないとすら思えた。

 

血縁以外に絶対理解者は現れると信じて、それなりの努力をしていたら、本当に現れてくれて、結婚まで辿り着けてしまった。
(まあ、血縁が私に対して理解があったかといえば甚だ疑問ではあるが。)

 

そして、ひっそりと願い続けた一番の夢だったかもしれない「穏やかな生活」もこの結婚で手にしてしまった。

 

そうなってくると、夢はある程度叶ってしまっている。

 

そんな私から夢を漉し取ると、もう「わがまま」しか残っていないことに気がついた。

 

ずっと求めていて、経済的な問題や日々の生活で失われる気力、さらに実家の絡みで諦めてきた、極めて個人的なこと。
最終的に私の夢とは、私がこれまで「わがまま」とされて諦めざるを得なかったことなのかもしれない。

 

その濾しとった残りかすである「わがまま」に、少しづつ手を入れて消化していくことが、経験と年齢を重ねた今の私の「夢」なのかもしれない。