【若干ネタバレ】並行世界と死と幸福と。~映画「君を愛したひとりの僕へ」「僕が愛したすべての君へ」感想

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【注・追記】映画を見た順番が間違っていましたので修正しました。「君を愛したひとりの僕へ」→「僕が愛したすべての君へ」の順が正しいです。

 

「人に寄り添う」ということはどういうことなのか。

 

生きること死ぬことは表裏一体であり、生きていれば必ずいつかは訪れることである。避けようにも避けることはできない。
それが例え並行世界であっても、それはどうしても変えることのできない普遍性を感じる。
避けることのできない「犠牲ある現実」を、並行世界を持ってしても「何らかの形で誰かが犠牲になる世の中」で見出せる幸福とは何なのだろう。

 

映画を見終えて、最初に感じたことである。

 

 

この2本の映画は「見る順番で印象が変わる」という触れ込みである。はてさて、そんなことがあるんかいなと半信半疑で見に行った。

そして2本とも観てみて、とにかくお伝えなければならないことは、「この映画は2本観ないと完結することはできない」ということである。

 

ちなみに私 は赤の「君を愛したひとりの僕へ」→青の「僕が愛したすべての君へ」の順で見た。
べた過ぎるハッピーエンドが苦手である私だが、この順番で見ても甘くなり過ぎなかった点は良かったと思う。確かに逆の順で観たとしたら印象は大きく変わるであろう。
(どちらから見ても最後の落とし所が不幸になるわけではないので安心にほしい。)

 

ただ並行世界を表現するための「虚質科学」のうんちくは、虚構の学問とはいえ物語を難解にしてしまっていると感じた。
解説文なり説明表記が欲しい所であったが、主軸は「学問」の話ではなく、主人公「(それぞれの)暦」の物語であるから、そこまで深堀りする必要はないのかもしれない。
原作未読だが、読んでおけば少しは違うのだろうか。

 

よって赤の「君愛」を見終えた感想は、どうも「雰囲気だけの悲恋の話」という印象しか残らず、消化不良な感じだった。
後日、改めて青の「僕愛」を見ると、「君愛」の伏線が「僕愛」で全て回収される。
満足度が高く、冒頭の通り深く考えたくなるような、そんな物語であった。

 

両方の作品を見て、一連の物語の一番のキーパーソンになるのは「瀧川和音」であることは間違いないと思う。
(並行世界を行き来するので正確ではないかもしれないが)この物語で最後まで生き残ることができているのが和音である。
栞と直接接点があるわけでなく、暦から聞き及ぶ話で彼女のことを把握し、暦の研究に、生き様に全てを捧げ、最後まで寄り添い遂げる芯の強さに心打たれずにいられなかった。

 

 

私は和音のように最後まできちんと旦那さんに寄り添えることができるだろうか。

そんなことを考えた。

点数のつけられない日々~ねるだいじ。

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この数週間、季節の変わり目と更年期の「さわり」が出始め、どうしようもなく、文字を書く気になれなかった。

その前が調子がよく、シルバーウィークを含めた2週連続の連休で知らず知らずのうちに精力的に動いてしまったこと。そして、これまで以上に旦那さんと向き合った結果がこのありさまである。

 

夜更けまで旦那さんと向き合って話し、どんなに眠くて寝たとしても必ず深夜と明け方に目覚めてしまう。
昼寝を軽くしたとしても追いつかず、日常生活以上の何かをすることまで頭が回らなくなってしまったのだ。(日常生活だってちゃんと回せていたかどうかホントのところよくわからない)

 

元々PMSが酷く、3年前から漢方に通じた医師のいる内科にかかっている。
お陰様でPMSは改善されたのだが、急に引き起こった現在の状態に今の処方では対応できないのだろう。

直近の診察の際、「とにかく夜中・明け方に目が覚めること」「異常に暑く感じること」を伝えると、更年期簡易チェックを受けることとなり、処方漢方が変わった。更年期の入り口で今のうちから対策をすべきとのことだった。

 

今のところ、少しだけほてりはマシになったものの、深夜早朝覚醒は変わらない。
で、とにかく早く寝ることを心がけた。

私の疲弊ぶりを見て、旦那さんは連日の夜更かしに付き合わせていたことに申し訳なさそうだった。(絶対的に必要な議論だったので、やむを得ないのだが。)

 

とりあえず、この1週間23時までに床に就くことを心がけたら、早めに目が覚めても苦にならなくなった。旦那さん曰く、顔色も良いという。

 

確かに日中の疲弊はかなり減った。後回しにしていた家事にも取り掛かることができたし、手つかずだった衣替えも終えることができたし、何より夕飯の小鉢のおかずを一品増やす気にもなったのだ。

小鉢に関しては、自身の体調改善のための作り置きできるものではあるが、そこまで気力が戻ってきたことに自分でもちょっと驚いている。
寝る時間の確保は「生きるための全活動の基礎」なのだと思った。

 

これから本格的に寒くなってくる。今後、現在自身の身体に起こっている「熱さ」や「中途覚醒」がどう変化するのかは到底分からない。
それでも、「最低限のできること」で上手く自身をやりくりしていかなくてはいけないのだ。

 

そうやって、これまでとは違う秋の深まりを感じているのであった。

点数のつけられない日々〜ひとおおい

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この3連休は珍しく出ずっぱりであった。

 

初日こそ、地元で「映画をはしご」程度だったが、2日目・3日目は少し遠出をした。
本来ならば宿泊を要する「とある予定」でだったが、先方の都合により「とある予定」をキャンセルされてしまったのである。

 

先方の都合にどうこう言うつもりは毛頭ない。
宿泊もキャンセルしようと思えばできないことはなかった。
しかし「折角の宿泊予約をキャンセルするのも勿体ないね」という話になり、「じゃあこの際だから行ってみたいところがある」という旦那さんのリクエストに応えて出かけることにしたのだ。

 

 

「どこに行ったか」という具体的な行先は、敢えてぼかす。
旦那さんのリクエストは各所から評判高い「温泉施設」であった。
私もそれとなく聞いたことのあるくらいの有名所である。とにかくお風呂とサウナがいいらしい。
「とある予定」は「温泉施設で癒される」ことに置き換わった。

 


その「温泉施設」には初めて出向くので、ある程度前情報は入れておいた。
私たち夫婦はそれなりに各所温泉施設には行っている方だと思うので、前情報を入れておけば問題はないだろうと考えていたのである。
しかし前情報では拾えない、生の情報が現地には転がっていたのだ。

 

 

そう、それは「人混み」である。

 

 

期待値高く出向いた温泉施設は全国的に評価が高く、お昼過ぎに辿り着いたにも拘らず、駐車場はほぼ満車。他県ナンバーだらけの中で、何とか私たちの車も停めることができた。
駐車場がこんな感じなので、当然ながら脱衣所も浴場も休憩所も併設の食堂もどこもかしこも人・人・人・人・人……。

多いだろうとは予想はしていたが、ここまでとは考えも及ばなかった。
寿司桶にびっちり詰まっているオードブル寿司さながらなのである。

まあ、前の3連休は猛烈台風のせいで何もかもが足止めを食らった人が多いだろうから、この機会を逃すまい!と考えてしまうことは必然である。


温泉自体は悪くなく、普段入ることはほぼない水風呂で心地よくさっぱりするということもできたので、満足度が低いわけではない。
ただ人が多すぎたのだ。

 

私の気質上、初めて行く場所はどんなところでも状況的にどうしてもストレス値が上がってしまう。いつもならストレス値が上がるだけでどうにかなるのだが、今回は「あの」人の多さにとどめを刺された感じだった。

私たち夫婦もその一端を担ってしまっているので、大きな声で言える筋合いは到底ない。
しかし……ただ、もう少し、ゆっくりしたかったというのが本当のところ。
一瞬空いたタイミングを逃さず、食堂で夕飯を頂いて、逃げるように施設を後にするしかなかった。

 

一番行きたがった旦那さんですら人の多さに流石にうんざりしたようで、「今度来る機会がありそうなときは絶対平日にしよう」と誓いを新たにしたようだ。

そんな連休2日目でも、連休3日目の帰り道で訪れた神社で心洗われ、美味しい蕎麦にありつけることができたのは救いだった。(やっぱり人は多く、そば店にも並ぶことにはなったが。)

 

只々人の多さを久しぶりに感じ、アグレッシブに動いた日々だった。

ただ、その反動は著しく、数日たった今でも疲弊があからさまになる感じになってしまった私自身がやっぱり一番残念なのである。

 

私のような気質は旅が負担になることが多く、今回も旦那さんにも随分配慮して貰った。にも拘らず、このザマなので毎回申し訳なく思う。

 

……ま、楽しかったことには変わりないことだけは明記しておく。

悔しくて嫉妬するほど褒めちぎる

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あるnoteのマガジンを購入した。

ほぼゼロ推移くらい滅多としてネット上で「課金類」なぞ、まずしない私が。
本を買うにも、とりあえず図書館で当たって試し読みをしてから買うか買わないかを最終決定をするような私が。
各スーパーの定番価格を網羅し、店舗ごとで買い分けすることを惜しまない私が。
その上で、イオンのお客様感謝デーの5%引をここぞとばかりに活用する私が。


そんな私が購入したのは、岸田奈美氏のnote「キナリ★マガジン」である。

ネットの海をそれなりに徘徊して眺めている中で、とりわけ目を引き読ませる力が抜きん出ている彼女が放つ文章はとにかく人の心を引きこんで離さないのだ。
普段はマガジン購入勢ではないので、はてなブックマークのトレンドに上がっては覗きに行くという、私はその程度の読者だ。

 

これから絶対面白くなるという所で有料ゾーンになる。
そりゃあそうである。彼女はそれを生業としているのだから。
期間限定で有料ゾーンを解放して下さることもあり、タイミングがあれば拝読をするという極めていい加減な読者がこの私だ。

 

ただ今回は違う。1度での課金でもこの度完結した「姉のはなむけ日記」の同人誌が届くのだという。
私はまんまと乗っかる形で、この度、満を持して購入したのである。

 

今まで口惜しい思いをしながら締めていた有料ゾーンが(過去のものも)全て拝読できるのだ。
太っ腹にも程がある。

そういうわけで、他の既存記事を横目に「姉のはなむけ日記」だけをとりあえず読んだ。全て。トータル4〜5時間程度かかった。


月並みな表現で安直が過ぎるのだが、やっぱり彼女はすごい。
これだけの膨大な文字数を時間を惜しまず(寝るのを惜しむ程)、読み進めようとする文章が発する力量がハンパないのだ。

 

読み終えた後の爽快感は筆舌に尽くし難い。
考えさせ、笑わせ、ほろっとさせる。正に人情喜劇さながら。
色々な人を巻き込みながら大団円に収まっていく様は、テレビドラマ「王様のレストラン」を想起させる程だ。

無料公開されているダイジェスト版もよいが、だまされたと思ってマガジン購読してみてほしい。*1
作者本人から何か頼まれたわけでも何でもない。本当に良いと思うので、全力でお勧めする。

 

 


ただ。
読めば読む程悔やしさが滲む。
それは彼女に対してでは勿論なく、自分自身に対してである。

 

自分の家のことをあけすけに語れることも。
人の心をつかんでいることも。
文章で生計を立てていることも。

彼女は私が20代にやりたいと思ったことを全てやっている。

 

これまで様々なネット上の炎上劇を見すぎてしまったことが一番の理由として挙げることもできる。しかし、それ以上にアラサーからつい数年前までは「現実」を乗りこなすことで精一杯であった。
同人活動と古の「エキサイト携帯ホームページ」で「人生はネタだ」的感覚で自分のことをあんなにあけすけに書いていた20代の私は、アラサーになるとすっかり書けなくなってしまったのである。
そうしてアラフィフに片足を突っ込んで、ようやく改めて自分のことを語ろうと思えるようになったのだ。

それなのに一回り以上も違う、彼女がそれをやってのけている。

 

ありとあらゆるこ辛く悲しく苦しい出来事を、まごうことなく喜劇化してしまう。
己が流した血と汗と涙を、己の手によって新たにグレードアップした血肉へと変えてしまうのだ。
中々出来ることではない。
だからこそ彼女の紡ぐ言葉に魅了されてしまうのだろう。

 

私もその昔から自分の経験を血肉に変えようとしてきたが、上手くいくことはなかった。仮に上手くいったとしても、せいぜい食する人を選びまくる「癖強めのレバニラ炒め」程度でしかなかった。
そういう例えでいうならば、彼女は自分の経験を「A5ランクの神戸牛ステーキ」に変換することができるのである。

それが彼女の持つ力量なのだ。

 

悔しすぎて手放しで褒めちぎりたくはないが、もう褒めちぎるしかない。

それが彼女だから。

それが才能だから。

 

只々、「お見事!」なのだ。

 

 

 

でも、やっぱり悔しいから、足元に及ぼすとも、私はここでしばらく書き続けようと思う。

「悔しいマン」で「何者にもなれなかった」私の最後の悪あがきだ。

 

 

note.kishidanami.com

 

*1:尚、9月15日までにnote内「キナリ★マガジンを購入いただくと、私を魅了した「姉のはなむけ日記」同人誌が届くそう。以前より6日程延長されてますので、興味を持たれた方は是非ご購入下さい!

点数のつけられない日々〜うっかり

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うれしい5%OFF、お客様感謝デー。
値上げの嵐のこの昨今、大変ありがたい。
意気揚々、買い出しに出た私が直近のお客様感謝デーでのことである。

 

8/30。車で10分程度で行ける近所のイオンに買い出しに行った。
今回のお客様感謝デーは火曜市と重なることもあり、9:30位だったにもかかわらず、平場の駐車場はほぼ満車という状態。みんな考えることは一緒だ。そして、この感謝デーがどれほど支持されているかがよくわかる。

 

あらかじめ書いておいた買いものメモを手に、売場を回り、かごに入れてゆく。
今回のお客様感謝デーでの買いだしメインはトイレットペーパー。
個人的にイオンの「芯なしトイレットペーパー」がコスパ最強と思っているので、食料品をかごに集めた後、最後にペーパー売り場に立ち寄り、手に取ってレジに並ぶ。

10:00前なのに、どのレジも大行列。
このイオンは何故か全て有人レジなので、早いとこセミセルフ化してほしいところ。
とはいえ、言う程待つことなく精算を済ますことができたので、サッカー台へ向かう。
あの行列の後なので、サッカー台も大混雑。どこで買い物を詰めるか迷うほど。

 

タイミングよく空いたサッカー台の上には、さっきまで袋詰めしていた年配さんのかごが放置されたままだった。
「後で自分の人と一緒に片付けてしまおう」そう思いつつ、自分の買い物をマイバックへ詰めていく。
野菜やきのこを買い込んだので少し詰めるのに苦戦。尚もサッカー台の隅で放置されたままのかごが気になる。
「後の人のためにも片づけなければならない」そう思いながら袋詰めする。

そして袋詰めを済ませた私は、素早くスマートに、且つ素知らぬ顔して、放置されていたかごを自分のかごと一緒に定位置に置く。気分がよい。意気揚々と停めた車に戻る。

 

火曜は他のスーパーも特売が掛かるので、そそくさとイオンを後にし、次の特売先へと車を走らせる。
少し遠く、20分程度掛かる。いつも渋滞しがちな道なのにすんなり抜けることができた。ラッキーだ。ちゃっちゃと買い出しすませて帰ろう。そう考えながら、特売先の駐車場に車を停めた時にハタと気がついた。

「私、トイレットペーパー持って、積んだっけ……?」

 

買い出しの荷物は、いつも後部座席に乗せる。ふり返ってみると……ない。
私のトイレットペーパーがない。
あの!あのサッカー台の端に置き忘れた!
完全に年配さんが置いていった放置かごに気を取られてしまったのである。

ただ、まだ忘れて1時間も経っていない。気が付くのが早かったから、多分サービスカウンターを尋ねれば確実に自分の手に取り戻すことができる。心無いお客さんが持ち出してさえいなければ……。
とりあえず、この特売先で買い物は済ませないといけない。
イオンで出てなかった特売の野菜をササッと買って、再びイオンへと車を走らせた。

 

再び20分程度車を走らせる。
11:00過ぎ。火曜市の人出はピークに達しており、平場の駐車場はパンパン。いつもならガラ空きの屋上駐車場も停車枠残りわずかという感じだった。車を停めるのにも一苦労。
行って戻って1時間弱。無事預けられているだろうか。

とりあえず1階へ下りる。
私が1時間前に使ったサッカー台を確認するも、なかった。まあここはないだろうとは思っていた。満を持してサービスカウンターを尋ねる。

「あの、忘れ物でトイレットペーパーって届いてないですか?」
「お電話なさいましたか?いつの忘れ物ですかね?」
「いや、今朝、1時間前に来て買ったので、来れば分かるかと思って…。」と購入時のレシートを見せる。

「ええー!今日ですか?レジの方見られました?」
サッカー台見たんですが、なかったもんですから。」
「そうですか。確認しますので少々お待ちください。」
……    
「あー、やっぱり届いでないですねえ。」
「そ、そうですかあ……。」

 

はあ……。あってほしくないことが起きてしまった。
まあ、私がやらかしたことなので仕方ない。450円強…。値上げの嵐真っ只中でこの金額は地味に痛いが、こればかりは諦めるしかない。

 

サービスカウンターを立ち去ろうとしたその時。神は私を見放さなかった。


「ちょっと前に忘れもの~。」
レジ担当の方がまさにその時、トイレットペーパーをカウンターに届けに来てくれたのである。
「ああっ!!お客様、これですかっ⁉」
「そ、そうですうー。芯なしのこれですう!」

レジ担当の人が持っていたのは、まぎれもなく私が購入した芯なくのトイレットペーパーだった。購入済テープもしっかり貼られている。

「30分前に届けてくれたお客さんがいたんですよー。よかったわあ。」
「諦めかけてました。本当にありがとうございます!助かりました!」

自分が助かっただけなのに、何を口走っているのやら。サービスカウンターの方とレジ担当の方にこれでもかというほど頭を下げながら、私はトイレットペーパーをしっかり抱え、屋上駐車場に戻った。

 

正直、サービスカウンターにお世話になるような忘れ物はこれまでしたことはなかった。持ち出し忘れそうになっても、すぐに気が付いて取りに戻ることが出来ていたのだ。
これも年齢を重ねる事の弊害なのだろうか。

……ということが頭をよぎったが、とりあえず、一番メインである買ったものが自分の手の中に戻ってきたことにホッとした。
そして心あるお客さんとイオンの方々に感謝する気持ちで一杯になった。


そして、再び1階の売り場へ降りた。
いつもなら諦めてしまうちょっとお高めのサーモンブロックを手に取り、レジに並んだ。

特売価格からさらに、ちゃっかり「5%OFF」である。

 

 

何はともあれ。

これに懲りることなく、ちゃっかり今月もお客様感謝デーにあやかる予定だ。

「夢」の最短 ~「夢の引き際」を考える・追記

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はてなブックマークで話題になっている記事がある。

yashio.hatenablog.com

前記事の映画感想に対になる部分もありながら、リンクする部分があるように感じたので、少し触れてみたい。
(※本来は映画感想の記事に追記という形での掲載するつもりだったが、そこそこのボリュームになったので、別記事化にした。)

 

 

2022年8月16日放送のマツコの知らない世界で富士山の写真を撮り続ける高校生の進路の悩みに、言葉を選びつつマツコ氏が言及するという内容だったようだ。

生憎見逃してしまっているが、この記事を見る限り、マツコ氏はこの高校生の夢を潰すことなく、絶妙な着地点の一つを提示していたのだという。

「地元で公務員になり、写真を続ける」

これである。*1

 

 

「どのような形で自分の夢や希望を追うのか」という点は、誰しもが迷いもがくものだ。

80年代~90年代であれば、アルバイトしながらでも夢を追うことができたであろう。
しかし、今は時代が違いすぎる。

 

イマイチ豊かさを享受しにくい世の中になってしまったことで、選択肢が広がったようなそうでないような、また選択肢がありそうでないような。私には今の状況がそんな風に見える。

そういう状況の世の中で夢を追うには、生活の安定が不可欠で、その恩恵を受けつつ「趣味」として続ける事しかないのかもしれない。

 

 

「夢」を叶える最短コースは「継続」しかない。
このことは多くの人が語り、実際私自身が見てきた「夢を叶えることのできた人」というのは、趣味程度でもずっと続け、確実にチャンスを見逃さない人だった。*2
最短コースである「継続」こそ、細く長く積み上げるしかない。一朝一夕でどうにかなる問題でもなく、「継続」するからこそチャンスが舞い込むものである。

 

マツコ氏はそれを理解した上で高校生に進言したのだ。
唐突に聞かれても、安易に励ますか、諦めさせるようにしがちな所をポイントを整理し、落とし込んだ上で説明している。

 

先日見た映画は「引き際を模索し諦める」話だった。
そんな映画を見て間もない今、この記事を読み、諦めるだけが全てではないということを思い起こさせられた。

 


完全に余談だが「サーバント×サービス」という、アニメ化もされた4コマコメディー漫画をご存じだろうか。その漫画に「市役所非常勤勤務をしながら趣味のコスプレに邁進する」という人物が登場する。

この記事を読んで、マツコ氏の進言をそのまま成したようなキャラがいたことを思い出したのだ。

漫画はフィクションであるものの、作者が市役所臨時職員(仮)としての経験を作風に生かしているということを言及している*3*4ので、マツコ氏のアドバイスはあながち間違いではないことが分かる。

 


引き際を考えることも必要な時期というのは、どこかでやってくるものではある。
しかし、夢に頑張ろう、頑張りたいと考えている人には、マツコ氏が進言したような、そういう方法もあることを知っておいて欲しいと勝手ながら思ってしまうのである。

*1:公務員も配属先によりけりな上、人員削減がなされている中でそんなに楽ではないということは頭の中に置いておかなくてはならないが、「生活保障」という点では優っていると思う。

*2:参照記事

点数のつけられない日々~たりないかくご - はぱささ ~今、ここ~

*3:

サーバント×サービス - Wikipedia「作風」部参照。

*4:該当ページの魚拓ページも存在する。実際(厳密には)臨時職員とも違うとも。

マンガ質問状:「サーバント×サービス」 “WORKING!!”作者が描くお役所4コマ - MANTANWEB(まんたんウェブ)

【若干ネタバレ】「夢の引き際」を考える~映画「辻占恋慕」鑑賞所感~

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この映画のコピーに「激苦青春ラプソディ」とある。全くもってその通りだった。

 

音楽を目指す人はおろか、あらゆるクリエイターを目指す人、何らかの夢を持って頑張っている人、そうした経験のある人には、ぐいぐい刺さっていくと思う。
私も類に漏れず、かつて自分の夢を高らかに掲げ邁進していた人間なので、映画内に出てくるエピソードが痛いほどわかる。わかりすぎて泣けてくるレベルである。

 

以下、あらすじ起こしによる若干のネタバレあり。

続く感想も若干のネタバレを含みます。ご注意下さい。

↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓

 

 

 

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ライブハウスの対バンライブで知り合った主人公の信太とゆべしはその日のうちに意気投合し、親しくなってゆく。
アラサーの2人、特にゆべしは「引き際」について考えてはいるものの、迷い、もがき、信太にほだされるまま、売れないシンガーソングライターを続け、信太はゆべしのマネージャーになる。

ゆべしの才能を信じて疑わない信太は、「ゆべしのメジャーデビュー」を目指すも、当のゆべしはイマイチ乗り気になれないでいる。しかも信太の空回りによる売り込みばかりで、2人は衝突を繰り返す。お互いに想い合っているのにも拘らず……。見ていて痛々しい程だ。

短編映画に楽曲と共に出して貰う交渉し了解を得たはずなのに、全く想定外の出され方をされてしまう。

かたや、有名プロデューサーの下でアルバム制作を始め、納得いくモノができる……かと思いきや、そのプロデューサーが少し狂った側面を出し始め、ゆべしは困惑。

結局落ちついて楽曲制作ができず、ゆべしは本格的に煮詰まってしまう。

信太はそのことに気が付けないまま、かつての仲間を巻き込みつつ、更にもがき続けるのである。

 

物語の最後は、空回りばかりしていた信太が全てをひっくり返してしまうのだが、これも苦くてザラつくような「現実」を嫌というほど見せつけてくるのである。

 

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スカッとする爽やかさもなければ、明確なハッピーエンドはない。
ただ、苦しく辛い。
それでも、こうして感想を書かずにいられないのは、そこはかとなく思い起こされる自分の過去の経験に響くものがあるからだ。

 

山口百恵のような「美しい理想の幕引き」はそう簡単にできるものではない。
実際の「引き際」なんて、この主人公たちのようにしかならないし、そういう風にしかできない人の方が圧倒的に多いと思う。

私自身の「夢」の幕引きも決してよいものではなかったので、共感しかないのだ。
考えてみれば、私の「引き際」もアラサーだった。アラサーはそうした鬼門なのかもしれない。

 

「アラサー」は、20代前半ほどガツガツできるわけでもないし、世の中に「それなり」を求められる年齢の頃でもある。
「夢」と「現実」に一番向き合うのが「アラサー」という世代なのかもしれない。

(これはその時代を経てきた人間としての実感。私と狭いその周辺を見てきた実感でしかないが。)

 

無闇に「頑張れ」なんて励ますのも難しい。「じゃあ、やめちゃえば」なんて安易なことも言えないし、できない。
そんなことを考え、ぐるぐる自分の中を回りながら、「そうするしかなかった」という境地にたどりつくものなのではないだろうか。

まるでカエデの種が回りながら、風に吹かれ落ちていくかのように。

 


大いなる夢を持つ人々には、辛いだけの映画だろう。
しかし、この年齢になるとそういう現実を生きる人々のストーリーはものすごく安心する。「自分だけではなかった」ということからなのか……。

 

「酔っている」と言われてしまえば、否定はできない。

しかし、夢に向かって努力したことはうそではないし、その努力や現実が今をつないでいると考えれば、「それでいい」と思えるものだ。
だから彼らも「それでいい」し、私たちも「それでいい」のだと思う。

「だからだめなんじゃん」なんて、吐き捨てることもできるが、それじゃあ自分自身が悲しすぎやしないか。
自分のことは自分がよくわかっているはずだから。

 


何度も書いて恐縮だが、この映画は決して分かりやすいハッピーエンドではない。
見せつけらた現実は何もなかったように過ぎていくが、その現実は何もなかったわけではないことを教えてくれる。

 

「めちゃくちゃに苦く」「ティースプーン一杯あるかないかの優しさ」がある、そんな映画ではないだろうか。