【若干ネタバレ】並行世界と死と幸福と。~映画「君を愛したひとりの僕へ」「僕が愛したすべての君へ」感想

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【注・追記】映画を見た順番が間違っていましたので修正しました。「君を愛したひとりの僕へ」→「僕が愛したすべての君へ」の順が正しいです。

 

「人に寄り添う」ということはどういうことなのか。

 

生きること死ぬことは表裏一体であり、生きていれば必ずいつかは訪れることである。避けようにも避けることはできない。
それが例え並行世界であっても、それはどうしても変えることのできない普遍性を感じる。
避けることのできない「犠牲ある現実」を、並行世界を持ってしても「何らかの形で誰かが犠牲になる世の中」で見出せる幸福とは何なのだろう。

 

映画を見終えて、最初に感じたことである。

 

 

この2本の映画は「見る順番で印象が変わる」という触れ込みである。はてさて、そんなことがあるんかいなと半信半疑で見に行った。

そして2本とも観てみて、とにかくお伝えなければならないことは、「この映画は2本観ないと完結することはできない」ということである。

 

ちなみに私 は赤の「君を愛したひとりの僕へ」→青の「僕が愛したすべての君へ」の順で見た。
べた過ぎるハッピーエンドが苦手である私だが、この順番で見ても甘くなり過ぎなかった点は良かったと思う。確かに逆の順で観たとしたら印象は大きく変わるであろう。
(どちらから見ても最後の落とし所が不幸になるわけではないので安心にほしい。)

 

ただ並行世界を表現するための「虚質科学」のうんちくは、虚構の学問とはいえ物語を難解にしてしまっていると感じた。
解説文なり説明表記が欲しい所であったが、主軸は「学問」の話ではなく、主人公「(それぞれの)暦」の物語であるから、そこまで深堀りする必要はないのかもしれない。
原作未読だが、読んでおけば少しは違うのだろうか。

 

よって赤の「君愛」を見終えた感想は、どうも「雰囲気だけの悲恋の話」という印象しか残らず、消化不良な感じだった。
後日、改めて青の「僕愛」を見ると、「君愛」の伏線が「僕愛」で全て回収される。
満足度が高く、冒頭の通り深く考えたくなるような、そんな物語であった。

 

両方の作品を見て、一連の物語の一番のキーパーソンになるのは「瀧川和音」であることは間違いないと思う。
(並行世界を行き来するので正確ではないかもしれないが)この物語で最後まで生き残ることができているのが和音である。
栞と直接接点があるわけでなく、暦から聞き及ぶ話で彼女のことを把握し、暦の研究に、生き様に全てを捧げ、最後まで寄り添い遂げる芯の強さに心打たれずにいられなかった。

 

 

私は和音のように最後まできちんと旦那さんに寄り添えることができるだろうか。

そんなことを考えた。