エッセイを紡ぐとき。

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書きたい時に限って、書ききれない。

 

そんなことはしょっちゅうだ。
ただ、今日なんて特に。

 

自分のことだけならまだ書きようがあったとしても、旦那さんや実家家族のことを書こうとすると、どうしても文章を紡ぐ手が止まってしまう。

 

インターネット創世記の頃。当時、古のケータイサイト「エキ●イト携帯ホームページ」でせっせと書いていた頃程の勢いは、既にない。そして、あの当時の感性のままで書けるわけがない。それが年齢を重ねるということなのだろうが。

 

あの頃の文章は何ひとつ残っていない。とにかく実家のことをありありと書いてしまっていたこともあり、残しておかなくてよかったのかもしれないと思うときもある。(少し心残りはあるけれど)

 

今は何か一つでも言うと、不必要に大きくなってしまう。過去の発言ですら蒸し返される。
かつての「創世記」の頃とはインターネットの世界は全く違うものになってしまった。
だから、紡ぐ文章は自分自身の「出来る限り」で神経を配っている。つもりだ。

 

旦那さんのことを含ませる記事内容の時は、必ず掲載前に一読してもらうようにしている。
内容に齟齬がないか。書きすぎて不快に思わないか。誤字を含めおかしなところはもれなく指摘してもらい、自分の書きたい意図とのバランスを考えながら修正をかける。

(ちなみに実家家族のことは私の認識と記憶している事実のみで書いてしまっている。私自身の身バレを防ぐためと実家家族への記事バレを避けるために相当ぼやかして書いている。実家絡みの話は、いずれ有料閲覧のみにしようかとも考えている。)

 

自分以外のことを書く時には、本当に考えないといけない。

 

それを提言しているnote記事がある。

note.com

至極全うで、ぐうの音も出ない。この記事を読んで、余計自分のブログに他者を書く場合は慎重になった。この記事は私のブログの指針の一つになっている。

 

 

考えずに思い切りよく書いてしまう「キャラクター」であったとしても、自分以外の他者を扱う「一番最初にお披露目する作品」は本当に、本当に考えないといけない。

 

 

自分自身と自分以外の他者の「その先」のために。