たかが10年されど10年

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はてなブログ10周年特別お題「10年で変わったこと・変わらなかったこと


前のブログ記事に言及した通り、「このお題で書く」と決め、色々思い出しながら書いてみたところ、想像以上のボリュームになってしまったため、その内容は再編集して、改めて記事化する。

そして仕切り直すつもりでこのブログのお題に向き合い、この10年で「変わったこと」「変わらなかったこと」を考える。

 

まず「変わったこと」
住む場所が変わって職場が変わって結婚して名前が変わったこと
外で働くことをやめて家事を生業にさせてもらったこと
旦那さんのおかげで生活が逼迫しなくなったこと
想像以上に穏やかに生活できていること

 

「結婚して地獄」なんて言う人も世の中にはいるが、私には結婚したことが相当にプラスな変化となった。


今ある生活に辿り着くまで、この10年の間に
‘実家のある辺境田舎から旦那さんの住む県庁所在地に引っ越して’
‘一旦一人暮らしを始めて’
‘仕事もコロコロ変わった’
…というより変わらざるを得なかったという方が正しいかもしれない。

 

旦那さんが住んでいる場所とはいえ、私にとっては知らない土地には変わりない。
土地勘のない中で同棲生活から始めたわけでもなく、一人暮らしで生活を始めたことは私自身の「HSPという特性」を知ることになり得た。
そして「その特性」から発生する組織で働くことのへ歪みについて、旦那さんととても、とてもよく話し合った。夜のファミレスで。

 

「とにかく私が組織で働くことには向かない」という結論は、組織で働き人事にも通じている旦那さんによって導かれたようなものだった。
それまでは結婚しても外で働くつもり満々だった。しかし、新しい土地での勤務は、余りにも私のダメさが露呈することばかりが多発し、自分自身を見失う程だった。その様子を見かねた旦那さんが「結婚後は外で働くことはやめて、家事に専念する方がいい」と提案してくれたのだ。ありがたい。本当に理解のある人で感謝している。

 

そんなわけで、結婚し姓が変わり、専業主婦として生活する様になった。
今は旦那さんがより良く仕事ができるように「生活を整えること」が生業になっている。
よって、一人暮らしでいつも逼迫生活をしていた私は旦那さんとの二人暮らしによって経済的にも精神的にも安定した生活を享受できるようになった。
既出のブログ記事にも書いているが、本当に私の恩人である。毎日のように感謝している、というか「せずにいられない」というところか。
ここに辿り着くまでが順当にいかなかったので尚更そう思う。(順当にいかなかったことを丁寧に書くと相当に長くなるので別の機会にでも)

 

こうした「変わったこと」に対して

「変わらないこと」
実家家族
それに対する私の思考
自分自身の存在価値への迷い

 

どうしても実家絡みが頭をもたげる。

私の人生の大半を実家家族と過ごしてしまっているので、それに伴う感情はそう簡単に変えられるものでもないのだろうと思っている。
なんなら今後も変わることはないかもしれないとすら思うこともある。

 

結婚した当初は相当に実家家族の発言で振り回されて行き詰まることが多かったが、実家から籍そのものが抜けたことで、時間が経つ毎に薄まってきていることは確かだ。
ただ連絡を取らないわけにはいかないので、連絡を取ると薄まっていてもまた濃さが戻る。それの繰り返し。
「良く洗って干しても、また掃除に使って真っ黒になる雑巾」のようなものなのかもしれない。

 

実父絡みでもう暫くは、それなりに実家方面と関わりを持たなければならない。それは半分義務みたいなものだと割り切って対応することにしている。
旦那さんの籍に入っているので、そこまで自分の実家を立てる必要はないとは思わなくもないが、それにはまた色々あってそういうわけにはいかないのだ。これも話が大変に長くなるのでここではこれ以上触れないでおく。

 

そうしたことがありつつも穏やかに生活をさせて貰っている。それでも、時として自分自身の存在否定が頭をもたげる。これも実家家族からもたらされた弊害だろうが、宥め賺して上手く付き合っていくしかないと思っている。
実家家族も存在否定も半分諦めの境地といった感じだ。

 

「変わったこと」「変わらないこと」を綴ってみたが、総じてプラマイゼロに少しプラスされた位なのかもしれない。
この先どうなるかなどわからないが、もう「マイナスに振れるのだけはまっぴらごめん」ということだけは確かだ。
身の丈に合った人生をゆっくり歩んでいけたらそれでいい。

 

これが10年を振り返ってみて考えたこと。

たかが10年、されど10年。