旦那さんと私と生きづらさ

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少し前にこういうツイートをした。

 

日ごろから旦那さんとはよく話し合うのだが、その中である気付きを得られたのである。

 

その「気づき」というのは、暫定的なものであって、確証が得られたわけではない為、まだ具体的に触れることはできない。

 

しかし、旦那さんが日頃感じていた疑問が「気づき」を介すことで腑に落ちることが大いにあるというのだ。
この「気づき」で目からうろこが落ちまくっている旦那さんではあるが、私自身は早い段階から実はそれとなく気が付いていた。その段階で伝えることもできたが、本人次第のところがあるのでこれまで敢えて伝えることもなく、煙に巻いてきたというのが本当のところだ。
本人が知らなければならないと気が付くか付かないか、そういう状況でなければ伝えられないと思っていたので、今回旦那さん本人に気が付いてもらえたことは有難いことだと思っている。

 

それに伴って、関連の書籍やネット記事をひたすら当たり、知識のインプットに徹しているというのが、現在の状況だ。
各種情報に当たっていくごとにわかってきたことが、私自身の生きづらさの根元には実家家族全員が「気づき」に該当することによるものではないかということ。

 

弟に関しては15年くらい前に自らの生きづらさから「気づき」に該当することを導き出していた。
その時も私は数少ない情報元から多少なり知識を得てはいたものの、今回のことで実父はおろか実母もそれに該当するのではないかと思えるのだ。

 

私自身はいいのか悪いのか、ここでいう「気づき」には該当しないようである。
ただ、HSPという気質を持ち合わせているがゆえに、尚更実家家族とは合わないと感じることは仕方のなかったことなのだろうなと思えた。
それ故にそれでも合わせていかなければならない使命というか、気が付くとフォローに回ることが多く、それに擦りまわされることが多かったのも必然なのかなと思わざるを得ない。
実家暮らしでこれまで起こった苦しく生きづらかったかつての出来事の殆どが説明ができるような気がするのだ。

 

未だその影響を引きずってしまい苦しくなる時もあるが、旦那さんの「気づき」と知識のインプットによって、私の持ち合わせた気質と生きづらさは今後生かすことができると思える。
実家家族の時とは違うアプローチで旦那さんと向き合っていかないといけない。
今までも生活をしていく際にそこまで齟齬が生まれたことはなかった。時折かみ合わないことがあってもそもそもの価値観がほぼ似ていることでカバーすることができているので、今後も多分大丈夫だろうと思っている。

 

私は実家からは逃げたかもしれない。
でも旦那さんからは逃げない。
どんなことがあっても私の恩人に変わりないのだから。