生きることに向いてない専業主婦が思うこと

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向き不向きなんて本当にあるのかどうかということはさておいて。


基本的に私は生きることに向いていない。


すぐ油断するし、怠惰だし、やる気あっても一瞬ですぐ目移りするし、すぐ周りの空気感に飲まれるし、ちょっとした変化にもなかなか適応できず、精神をおろし金にかけられているような感じだ。

 

頑張れば生きていけるけど、頑張った分の反動で「生きること自体が面倒で向いていない」と思ってしまう。
そんな感じで40年以上生きてきてしまった。

 

今は結婚できて、「専業主婦の嫁」という役割をあてがって貰い、やっと生きてこられている。
真っ当に向き合い、話し合え、笑い合える旦那さんがいるから、私は生きていられるのだと思う。

 

そうでなかったら、どうなっていたのだろうと考えるとゾッとする。

 


辺境の片田舎で細々と非正規で働きながら、共依存の母親と共に「頑張って」生きていくことになったのだろうか。
運良く実家近くで縁に恵まれて結婚したとしても、嫁ぎ先と実家の間を綱渡りするように「頑張って」生きていくことになったのだろうか。

 

いずれにせよ、実家や実家近くで生きていくことは、私にとっては酷なことに変わりない。

 


今は実家とは真逆の「遠いところ」で暮らしている。
このコロナ禍も相まって、簡単に帰省できるような場所ではなくなったことは、多分私にとってありがたいことなのかもしれない。

 

結婚できていなければ、実家方面から離れていなければ、私は生きながら死んでいたようなものかもしれない。


だから旦那さんは私の命の恩人でもある。
その恩人に報いるためにも、私は何があっても生きなければならないと思うのだ。

どんなに生きることに向いていなくても、そんなに頑張らなくても生きていける環境を与えてもらったから。


「頑張らなければ生きていてはダメ」みたいな、そんな感じで結婚するまで生きてしまったから、
「頑張らないでも生きていていい」と言われると居心地が悪く、生きるのは向いていないなと思ってしまう。


「それでも、それでいいんだ」と諭され続けて、今を生きている。