御神籤の言葉

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あけましておめでとうございます。
本年も当ブログをよろしくお願い申し上げます。

 

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新年は、新年は地元の氏神様と私自身と旦那さんがそれぞれ縁ある神社の3社参拝に回った。
毎月の1日、15日参拝は大体欠かさないが、新年最初の参拝はやはり心持ちが違う。天候もよく、よい参拝であった。

 


そこで引いた御神籤の裏に書かれていた「神の教」が新年にふさわしく、強く心に響いたので、ここで紹介しようと思う。

 

名も知らぬ路辺の草もほどほどに、己がつとめと花は咲きけり

十人十色、人にはそれぞれ神様から与えられた天分がある。

人を見下したり妬んだりする事は、自分の心を干上がらせ大切な心根を枯れさせてしまう愚かな事である。

神様の御心に叶うよう、己の職務を日々真面目に努めて、腕を磨き心を耕し、大地に逞しく根を張れば、必ずや倖せの花咲く時が訪れる。

人間として生きていく上での基本中の基本のように思う。しかし、生きる上で心がけようとしても、つい自分の心から零れ落ちてしまうようなことでもある。

 

「神様から与えられた天分がある」
「自分の心を干上がらせ大切な心根を枯れさせてしまう」
ものすごく自分自身の中で腑に落ちすぎて、魂に封蝋でスタンプを押されたかのように、はっきりくっきり心に刻まれてしまった。

 

どうあがいてもできることは限られるし、妬み嫉みで何か成しとげられるわけでもない。何者にもなれない、いち小市民の私はただ、この場所で実直に生きてくしかないのである。

 

「今-ここ」というブログのテーマに相応しい御神籤を引いたな、と染み入る気持ちでつい眺めてしまう。

 


昨年は色々と(私にすれば)手を出しすぎた点が多かった。
心機新たに、この御神籤裏の言葉通り、身の丈を重んじ・背伸びをせず・実直に生活を重ねていければ、と思う。

 

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毎年おまけの付いた福神籤を引いている。今年は弁財天。