点数のつけられない日々〜あるくこぐ

この記事は、2020/11/24 18:48にnoteに掲載した記事をこちらに移転させました。ご覧いただけると幸いです。

 

自転車を買って貰った。

前の自転車からの買い替え。
前の自転車は旦那さんの通勤で使っていた。
3年乗って壊れてしまった。

買い替えするかどうか、散々協議して買うことにした。
今回の買い替えは旦那さんより私がメインで乗ることを前提にするという形で話がまとまった。

このコロナ禍で、旦那さんが在宅勤務になり、自転車の必要性がなくなったこと。そして、私のダイエット名目で日々の買い出しを車からシフトしていくということが理由だ。

前置きが長くなったが、2人で協議して、先日自転車専門店で色々見て決めた自転車が届いたという連絡を受けたので引き取りに行ったのだ。

旦那さんの運転で注文店まで送ってもらってもよかったのだが、私の中でのギリギリ徒歩範囲内だったということで、自転車を引き取りに歩くことにした。
一人で取りに行くつもりだったが、歩くのが好きな旦那さんは自分の散歩のついでに新しい自転車を見たいという。

二人で出かけた。
二人で歩くのは、そんなに久しぶりという訳でもなかったが、「歩く」事がメインではなかったこともあり、なんだかとても新鮮に感じた。

ズンズン歩いて、あっという間に注文店に到着。色々と説明を受けて、晴れて新しく自転車を迎え入れた。
27型だから少し大きい。でもタイヤが大きい分、推進力も大きいような気がした。

新しい自転車を確認して安心した旦那さんは、「散歩の続きをしたいから」と注文店の店先で一旦お別れをする。

帰り道は、普段絶対通ることのない道を敢えて選んで漕いでみた。何もかもが新鮮で、ちょっと楽しくちょっと変な感じ。
少し冷たい風が頬を掠めるのが気持ちよかった。

このままご近所徘徊してもよかったのだが、何分身体を動かしつけていない。
調子に乗って、日常生活に支障が出ることはこれまでも幾多もあった。

よって、翌日、翌々日の自分自身を思いやって、大人しく自宅へ向かって自転車をこいだ。

調子に乗るのは、もう少し身体を慣らしてからでも遅くなないだろうから。

 

点数のつけられない日々~げつまつ

この記事は、2020/10/31 18:22にnoteに掲載した記事をこちらに移転させました。ご覧いただけると幸いです。

 

気が付いたら月末。
本当に早いものだ。

実験的に始めた「点数のつけられない日々」も最初だけですっかり放置気味に。

「とりあえず生きてます」


結構書こうと思えば書けるネタはあった。
10月の半ば以降、なんだか慌ただしく、色々と所用を詰め込んてしまったのがそもそもの発端ではあっただろうなあと思う。

1日に2つ用事を入れてみたり、
色々あって家で引きこもる暇もなくなったり、
普段行かないようなところに週末の度に出かけたり…

今度はその反動で何もしたくなくなったり…


そんな感じで月末を迎えてしまっている。
まあ、いつも通りといえば、いつも通りなのかもしれない。

どうにかしなきゃいけないなあと思いつつ、しょうがないかあと思う自分もいる。

「自分を許すこと」と「甘やかすこと」の違いが分からない。
分からないまま曖昧に生きているなあと思う。


noteを書き始めた頃に比べ、随分秋も深まった。
朝晩がぐううっと冷え込むのに、昼間はまだまだ暑く感じるときもある。

そんな気まぐれのような気候の移ろいは少し自分と似ているのかもしれないとふと頭をよぎったのだった。

点数のつけられない日々~あさ

この記事は、2020/10/08 21:55にnoteに掲載した記事をこちらに移転させました。ご覧いただけると幸いです。

 

今朝6:30くらいには目が覚めたのに、二度寝をしてしまった。
8:30過ぎていた。正確には9:00前と言った方がいいだろう。

急がなくていいと思っていると、どうしてもこうなる。

タラタラと起き出して、朝食の支度をする。

いつもならヨーグルトメーカーで作ったちょっといいヨーグルトを食べるのだが、器に移す行為が面倒で
先日買い置きしておいた十勝ヨーグルトを食べることにした。

トーストは食パンなのだが、ただの食パンではない。
食パンの耳部分のスライス。
よくある棒状のものではない。片面はよく見る食パンで、裏は全面パン耳状態のものだ。

食パンとして通常販売する商品にする為に、恐らく廃棄する前提の全面パン耳を通常食パン同様、6枚封入され、割安で販売されているのだ。
数年前に量販店で見つけてから、この全面パン耳ばかりを購入している。
ただ、意外に売れ筋なのか、たまに買えない日もあり、その時はやむなく通常の食パンを購入する。
なぜそこまでして全面パン耳を求めるかというと、旦那さんの影響なのである。

「食べ物は端っこが美味しい」と豪語する彼は、とりわけよくあるパンの端っこのカリカリした食感を大変好む。廃棄同然扱いされる、世間におけるパン耳の処遇が余りにも酷いと嘆く程だ。
そういう話をよく聞いていたこともあり、量販店で陳列されている時は必ず2袋は買うようにしている。

そんな全面パン耳をトーストにして、アマニ油とはちみつをかける。

コーヒーはミルクと半々のカフェオレで。
と書くと、さぞかし…みたいな感じがするが、普通にインスタントコーヒーと砂糖をお湯に溶かし、低脂肪乳を加えるだけ。ズボラである。

あとは、ゆで卵と一口二口分の青汁か野菜ジュース。
この2つは少しだけ栄養バランスを考え、いかに寝ぼけた朝でも楽に準備出来るかを熟慮した結果だ。

そんな感じでそれっぽく成立するような朝食をボヤボヤしながら食べる。

とりわけ今日はやる気がない。
寒いし、天気も芳しくない。
何よりやっぱり昨日調子に乗って、少し遠出したのが響いているらしい(苦笑)。

今日は一日中、何だかこんな感じだった。

エネルギーの使い過ぎの件は随分改善してはいるものの、その匙加減がこの歳になっても、感覚が掴めない。

もう少しどうにかしないとなあ、と思いつつ、
でもしょうがないかなあ、とも思う自分もいて、
何だかもうどうしようもないなと、何だか少し笑えてしまった。

 

点数のつけられない日々〜すこしとおくへ

この記事は、2020/10/07 23:54にnoteに掲載した記事をこちらに移転させました。ご覧いただけると幸いです。

  

天気が良いので、少し遠い所に来た。
最低限の家事ルーティンを最低限の労力で終わらせて。
1人でふらっと。

基本的にインドア派な私なのだが、
定期的に、なぜか少し遠い所に行きたくなる。
しかも、自然の多い所。
山よりも海に向かう事が多い。

幼少期から海のそばで暮らしてきたからかもしれない。

今年はとりわけコロナのせいで、外出する機会がびっくりするほど減ったのだが、
インドア派の私でもさすがにうんざりするほどだった。

旦那さんと一緒にふらっと出かけることは8月の終わりくらいから少しずつ始めていたけど、
少し遠い所に1人でふらっと出歩くことは、日々の買い出し以外には全くというほどやっていなかった。

2人で出かけるのも楽しいが、1人でふらっと出歩くことはそれとは違う楽しみがある。
言葉で説明するのは難しいけれど、自然により近い所に行くことは、私にとっては定期的に必要なことであることは確かだ。

「画像1」

駐車場から松林を抜けて、海辺の整備された海岸を一通りふらっと歩いてみる。

遠いところにある台風の影響がそれとなく出ているのだろう。少し風が強い。
強い陽射しは夏のものではなく、すっかり秋の陽射しになっていて、
お昼なのに何となく「夏の夕方」のような体(てい)だ。

ふらっと付近を軽く歩いて帰るつもりが、気がついたら結構ほっつき歩いていた。
あんまり調子に乗って歩き回ると帰りの運転に支障が出るので、早々に切り上げる。

頻繁に「少しの遠出」をしない理由。
単純にエネルギーを使いすぎてしまうから。
エネルギーを使いすぎると運転はおろか、帰ってからの家事に確実に支障が出てしまう。

そんな今日の夕飯は、ケンタッキーフライドチキンでごまかしたのだった。

 

点数のつけられない日々~ごはん1

この記事は、2020/10/06 20:13にnoteに掲載した記事をこちらに移転させました。ご覧いただけると幸いです。

 

旦那さんが出張で、1人留守を守るお家。
夕飯をダラダラしく頂く。

ただ肉を焼いて、昨日炊いておいたジャーの中にそのままだったご飯を温めもせず、
ただふりかけをかけて食べる。

1人暮らしでよくやりがちなご飯は、結婚してからここ数年、すっかり遠ざかっていた。

肉は特売の豚ロース。
ここ最近ハマっているマキシマムを振りかけるわけでもなく、普通に塩胡椒を振って弱火でジリジリ焼く。
弱火で焼いて油断して、またカチカチにしてしまう。
過去に豚ロースを絶妙に焼き上げたのは2回ほどしかなかったと記憶している。
少しでも焼きすぎるとカチカチになってしまうが、かといって、とりわけ豚肉はきちんと火を通さないと身体に悪いと聞く。

焼き加減は難しい。
ただ、今日は自分のためだけに、ただお腹を満たすためだけに焼く。
カチカチでも、それでよかった。

温めもしないご飯にかけたふりかけは、丸美屋の本かつお
大体我が家のふりかけシェアは圧倒的に「御飯の友(フタバ)」なのだが、
私は鰹節ベースのふりかけは子供の頃から大好きで、自分一人でご飯にかけて食べてしまうくらいに好きなふりかけだ。
かつおも良いが、同じ丸美屋の味道楽も良い。
地方メーカーのタナカの瀬戸風味やフタバの食道楽も良い。

ふりかけは何がいいかというと、おかずがなくても食事が成立するという点。
今日みたいな自堕落なご飯にはうってつけなのだ。

日頃「それなり」にご飯の支度をしているので、自分1人の時くらいは、やっぱりご飯の支度はサボりたい。

 

 

新年のご挨拶

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あけましておめでとうございます。

 

私自身が2020年の混沌とした世相に飲まれることなく、2021年をつつがなく迎えられたことに感謝します。

 

例年ならば、年始の三社詣的な参拝巡りをしているところなのですが、この昨今ですので差し控え、静かに自宅でこうして書くことができています。
動き回った後にぐったりしてしまうHSP体質の私にはちょうど良いのかもしれません。

 

ただ、近所にある氏神様への参拝は済ませてきました。一番多いであろう年の晩は避け、比較的人が少ない昨日の昼間に旦那さんと二人で。
近所のみの参拝なので、物足りなさを若干感じつつも仕方ないと割り切るしかなさそうです。


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年末にこのブログの処遇についてあれこれ書いてみて、とりあえず、このブログのフォーマットとデザインの変更をしてみました。
それだけでも印象が変わるものだなあと感じています。

 

今後、どのように展開していくかはまだまだ明確にはなりませんが、
とりあえず、(若干修正を加えた)同じ記事をもう一つの方にも上げることにします。


今年も「はぱささ」をどうぞよろしくお願い申し上げます。

年末に寄せて

色々と公的・私的にあんなに翻弄された今年も今日でおしまいです。

 

私の今年は昨年から入院していた実父の退院騒動から始まり、新型ウイルスの関係で旦那さんの仕事環境が大きく変化し、私は気軽に買い出しに出ることすら躊躇するような、そんな生活が夏の終わりくらいまで。
秋になって、少し遠出してみたり、近くの美術展に足を運んでみたりとできる限りの対策はとりつつ楽しむこともしていました。
そして、冬の到来とともに、私の住む町でもじわじわと感染者が増えつつあって、どこでどうなるかなんて本当にわからないなあという感じです。他人事でなく、本当に油断できません。

 

このブログも、しばらく距離を置くつもりで、新規でnoteを始めました。
その矢先でnote社の派生メディアcakesの問題が立て続けに起こり、正直noteという場所で書き続けていいのかなという疑問が湧きました。

その経緯はnoteの方に書きました。(該当記事削除済)

 

未だ迷っているのはnote側にかつて書いた通りで、このはてなブログもどうするべきか迷いながら、過去記事の整理をしました。
あれから、はてなブログでもハッシュタグの使用ができるようになり、noteに近いような使い方ができるようになったとのことで、あのcakes騒動を期に、本巣であるこのはてなブログで書いていくという選択をしてもいいのかなと思えるようにはなりました。

 

ただ、気軽に書き記したいという目的で始めたnoteでもあるので、はてなブログで同じように書く気になれるのかなと思うと疑問が残ります。
だから、note内の記事に書いたように迷っています。

 

何を書いて、何を伝えるのかを今一度立ち返ってみて、今後の両者の運用を考えていきたいなあと漠然と思っています。

 


…というように
…まあ本当に色々と翻弄された1年でした。

 

それでも、こんな世情でもなんだかんだで穏やかに暮らしていけていることに大いに感謝せねばならないなあと思います。

 


本年もこのブログに訪れていただき、本当にありがとうございました。
来年も何とか現状維持をしつつ、何かを書いていけたらいいと思っています。

今後もよろしくお願いします。