「成人の日」だから思い出す話(前編)

「成人の日」を明日に控えた今日。
所用で出かけた際、駅に差し掛かろうとしている時のことだ。

この駅と周辺は例年多くの新成人で賑わう。
ただ、この「ご時世」のため、成人式は中止になっている。そういうこともあり、そこまででもないだろうと思っていたが、実際は違っていた。

 

駅と駅周辺には「『式中止』『ご時世』など関係ない!」とばかりに嬉々とした晴れ着・スーツの新成人の皆さんであふれている。

 

一生に一度しかない機会だからしょうがないか…と思い眺めつつ、駅隣接のコンビニでカップコーヒーを買うつもりで立ち寄った。
しかし、もしぶつかって思い思いの一張羅を汚してしまうかもしれないし、そういうことになっては忍びないなと思い、カップコーヒーにするのはやめ、ペットボトルのものにした。

 

そういう光景を眺めながら、去年もその前も、成人式を迎えてから以降、必ず思い出して切なくなってしまうことがあり、類に漏れずまた思い出してしまった。

 


これから綴る話は、私自身が成人式を迎えた時の話である。
少し長くなってしまうが、ご覧いただければ私は少しは浮かばれるかもしれない。

 

……

 

 

私は辺境の片田舎で生まれ育ったのだが、高校を卒業後、関西方面の専門学校に進学した。
進学といっても、普通に学校に通うだけではなかった。学費と生活費の両方が工面できる「新聞奨学生」として住み込みで新聞配達をしながら学校に通うという進路選択をしたのである。


ただ、私が住み込みで働いていた販売所は色々と厳しいことでそれなりに知れていたところらしい。(そのためか、店舗は事情を知らない地方出身者で構成されていたようだ。新聞奨学生時代のエピソードはこちらでも取り上げている。)

普段の学校生活を送ることでも結構大変だったのだが、「成人式」を迎えるにあたっては、決定的に大変だったのだ。

 

 

話はまず、高校3年の晩秋の頃まで遡らなければならない。


たまたま自宅に送られてきたダイレクトメール(以下DM)に母親が目を奪われてしまうことから、この話は始まる。

何のDMかというと、「成人式の着物」の即売会。そう、私の成人式を目指した着物販売の案内だったのである。


私自身、家庭の経済状況は決して良いものではなく、大変厳しい生活を強いられていることは知っていたので、当然「お金かかるから、そういうものはいらないよ」と断った。
ただ、母親には母親なりの思い入れがある。

 

母親自身も貧しく、自分が二十歳の時に着物が着れなかったことで大変悲しい思いをしたという経験から、
「将来私に娘が生まれることがあったら、絶対に成人式で着物を着せたいと思っていた」
と切々と言われてしまい、そんな母親の思いを無下にできるわけもなく、その着物即売会に行くことになる。


ちなみに着物即売会の会場は、どういうわけか隣県の某アミューズメントパーク内の一施設が会場となっており、行くまでにも時間とお金がかかるのに、そこまでして行って買う必要があるのかと思ったものだ。

 

 

当日会場に行くと、所狭しと反物が並んでいる。
「自分の好みを選びなさい」と事前に母から聞かされていたので、個人的にはグリーン系かパープル系のものが良いなと考えていた。

…にも拘わらず、購入に至ったのは、母親の意向が強く出たモノクロの総絞りの反物だった。


当時の私には地味にしか見えず、散々渋ったのだが、私を担当した販売員さんの一言で、私が折れるしかなくなってしまっていた。

「成人式の着物はご自身だけが着るものではない。お母様も同じような気持ちで着るような、特別なものなのよ」

随分前の話なので記憶があやふやだが、「親の意向も汲んであげて…」みたいなことを言われてしまったら、娘の立場上、そして旅費も含めお金をかけさせてしまった以上、母親の意向に沿うしかできなくなっていた。

 

そんな経緯を経て、私のために誂えたモノクロ総絞りの着物が程なくして仕上がったわけである。
当時の私には正直着物の価値などわかっておらず、お金をかけさせてしまったことばかりが気になっていた。
ただ、母親にとって、想像以上に良い着物となっていたようで、嬉々として眺めていた。

 

「何が何でも、成人式にはこの着物を着て、成人式に出席する」という私の義務が、ここに発生した瞬間だった。


(長くなったので、後編に続く)