架空の死と現実の死を重ねてしまう話~ワニくんの100日を追い続けた先で感じたこと(後編)

前編からの続きです。

 

そして、3/21今日のお昼に動画の公開。

 

1日目から最終日まで追ってきた私は、本人たちから語られる本当のところを知りたいと思い、全視聴しました。
既にニュースやまとめツイート等の情報がありますので、ご存知の方も多いかもしれません。

概要を記すならば、

大手広告代理店は関知するところはなく、偶然の一致であるだけで、この作品に関わる人たちの「何とか昨日までに間に合わせたい」という熱量ありきで、成した結果であるとのこと。
そして作家さんがこの作品を発表する上で、何を考え、描いてきたのか。その流れで各種プロモーションの打診を受けた経緯を説明。
その際には涙ぐまれ、言葉に詰まってしまうシーンもあり、そもそもマネタイズの件については他意はなく、「悲しい…どうしてこうなってしまったのか…」ということを言及。

こんな感じかと思います。

 

「他意はない」
作家さん自身の実体験が元になっていることもあり、作家さんのお人柄と共に、それは痛いほど伝わりました。
最終回に間に合わせたい!その一心で関係者さんはとても努力をなさったということも伝わりました。
ただ、どこかの時点で「作家・関係者側」と「読者側」の熱量の方向性がずれてしまったのかもしれないということも感じました。

 

それだけに
こんなに思い入れがある作品なのに、どうしてプロモーションの告知に関して慎重になれなかったのだろうか
と勝手ながらも思ってしまったというのが、熱心な一読者としての本音です。


だからといって、先に述べたようにそういうマネタイズを全て否定するつもりはありません。
正直に言うと、あの最終回であれば、後日談は読みたいと思いますし、後日談あってワニくんの弔いを終えることができるような気がします。

 

ただ、なぜ最終日当日だったのか…それが一読者としてとても、その点がとても悔やまれるのです。

 

比較対象を持ち出して申し訳ないですが、
以前Twitter発某動物4コマが大ブレイクした時も、今回と同じように熱心な一読者でありました。
そのマネタイズの経緯や様子を逐一眺めていたこともあり、今回のワニくんの件はどうしても違和感を持たずにいられなかったのです。

この某動物4コマの作者は書籍化の話が来たときには、「こんな流れになりそう」など、Twitterで予め告知をしていたのです。グッズ化やコラボの話も然り。
そういう様子をみて、微笑ましく心待ちに思っていたものです。実際書籍化された本も複数巻出ていますが、購入済みです。

 

かたや今回はLINEスタンプの告知こそあったものの、それ以降は日常のつぶやきもなく、
全く告知なしで、いきなりの最終回前日の書籍化告知、最終回でコラボと更なるマネタイズ告知…


そういうプロモーション方法だと言われてしまうと、一読者としては何も言えませんが、
ただでさえセンシティブである「死」を扱っているのに、やっぱりそれはないのではないか?と思わずにいられません。

 

70日目くらいから「こういうプロモーションのお話がきています」というようなそれとない告知が都度あってもよかったのかなと。
最終回を迎えてから以降の告知でも、このワニくんの話は強く惹きつける内容でもあるので、そんなにすぐ下火になることはなかったのではないかと思うのです。(が、これは一読者の肌感覚なので、何とも言えないかとは思います)

 

とはいえ、事の経緯の配信動画を見て、今現在の作家さんと関係者の思う所が聞けたので、
私の悲しいと思う気持ちは随分落ち着いてきています。随分勝手な話であるのは承知の上で。

 

そういう心持ちになったので、改めてワニくんの100日を読み返しています。
日常によくありそうな風景が鮮やかに、そしてここまで「生きる機微」を感じられる作風になっていることは、本当に素晴らしい。
だからこそ架空でありながら共に生きているような錯覚を覚えるほど、私自身の中で育っているのだと思っています。

作家さんや関係者の皆さんがワニくんを大切に育ててきたように、一読者の私自身の中でもワニくんが育ちすぎてしまったのかもしれません。

 

ただ、最終日・翌日の一件があり、書籍化された本を手に取れるかというと、今の心持の私には正直自信はありません。
しかし、私の中でワニくんの弔いが済んだと思える日が来たら、きっと購入してしまうのでしょう。

(奇しくも、書籍発売日は4/8。この日はお釈迦様の誕生日「花まつり灌仏会)なんですよね…偶然といわれるとそれまでなんですけど、そういう風に考えたいものなんですよ、熱心な一読者としては…(苦笑))

 

色々と、また長々と一読者として御託・わがままを正直に書き綴ってきましたが、
「架空の死」なのに「現実の死」として思い重ねてしまうほどのこの作品は、やっぱりは無下にはできないし、してはいけないという、私の中での大切なお話の一つになったのだと強く思うのです。