「ざっくりすぎるくらいざっくりな案内」という名の自己紹介

アラフォーの専業主婦。

地方末端田舎出身、現在某県庁所在地在住。

家庭環境の悪さから、随分幼いうちから自己否定の人生が始まります。


自己否定は家庭内で留まらず、学校に通い始めると顕著になり、

いじめられていないのに、いじめられているような感覚に苛まされ、小学校5年生で本当にいじめを受けてしまいます。


中学時代はいじめられることはなかったものの、その分いじめられないように神経を使いはじめ、

学校から帰るとぐったり疲れてしまい、横にならないと身体が持たないようになりました。
(それ以降、専業主婦になるまでこの様な状況は続き、現在も過去に比べれば頻度や程度が減ったものの、その傾向は続く…)


また、これまでも実家家族の意識に随分振り回されており、

高校時代にひょんなことから「機能不全家族」と「AC(アダルトチャイルド)」の概念を知ることとなります。

そのお陰で、心理療法に縁ができ、20代には自分の中のACを解決すべく、働きながらカウンセリングに通いました。8年ほど。


その後自身でカウンセリングの収束を決め、終わらせたものの、

未だ自分の実家家族に囚われたままであり、ことあるごとに回想してしまい、自己嫌悪に陥ってしまうのです。

(結婚をし、全く別の籍に移った今でもです)

本当の意味でカウンセリングは収束しておらず、当時の日々起こる問題に対応するのに精一杯だっただけだったのか…?

 

なぜ私はいつも身体がしんどくて、疲れてて、
なぜ私は目の前にいない家族に囚われたままなのだろう。



そうやって自分の中で考え続けてきて、40代に差し掛かろうかとする時、たまたま知ったのが

HSP」と「ゲシュタルト療法」のこと。

HSPのチェック項目で当てはまらない項目の方が遥かに少なく、そこで初めて私はHSPであるということを知り、ようやく私がいつもしんどくて疲れている理由が明確になった様な気がしたのです。
本を読んで、自身の理解を深めようとするも、日々の生活に押され、結局改善できないまま…。


その後、結婚し、仕事はすっぱり辞め、専業主婦として夫と暮らし始めます。

暮らし始めてからは楽しく、嬉しく、何より外で働いて、外部的にも経済的にも気にしなくて良くなった事は、私にとって大変ありがたい事で、感謝しかありません。


が。

 

自分以外の「夫という他人」と暮らす事は、手探りの連続で、生活を支えてもらっている夫に対して家のことくらいはちゃんとしなければという強迫観念にも似たような感じでもがいていました。

最初の1年は外で働くことよりはマシなくらいの精神状態だったと思います。
いらぬ心配をかけたくないばかりに、夫に自分の中の強迫観念を伝え、分かち合おうとすることはできませんでした。


徐々に自分の中で煮詰まりつつあったそんな時、偶然テレビで取り上げられていた「ゲシュタルト療法」を見て、その時は漠然と捉えていましたが、なぜか気になって、その言葉だけはスマホのメモに残していたのです。


それから今年(2018年)の誕生日が差し迫る頃、実家の母親と電話で話した事が引き金となり、酷く自分の中で煮詰まってしまいます。何ともない近況報告の会話だったと思うのですが、自分でもなぜここまで煮詰まるのか分からず、もがかずにいられませんでした。
何が私をそうさせるのか分からず、HSP関連の本を読んでみたものの、なんだかピンとくるものがない。
そこで、何気なくスマホを弄っていて出てきたのが、前に何気なくメモに残していた「ゲシュタルト療法」という言葉。
そこからこの言葉にヒントがあるような気がして、地元図書館の蔵書検索を弄って出てきたのが、「家族連鎖のセラピー」という本。すぐに借りに行きました


私の中で長年鬱屈していた家族に対する悩みは、この本の中の事例に所々当てはまる部分があり、下手にカウンセリングに通うより、この療法の方が結果が出るのではないだろうかと感じました。
それから、再び自分自身に向き合うことを決めました。
生き直す最後のチャンスかもしれないと思って。

…かといって、専門家の元に通うことはしていません。近場にゲシュタルト療法を扱える方がいないので、私自身で本を頼りに手探りで向き合うつもりです。


そこで、

かつてのカウンセリング経験から得た、文字で自身を客観視すること。

それでなくても、元々文章に著すことが好きなこと。

そして、読んだ本の中にあるフレーズが印象的で、それを踏まえた上で、敢えて自分の向き合いを公開することにしたのです。